ラレコ山への道 蝉丸 徒然日記

Vol.08 山海塾新作完成

2001年2月

フランスのアンジェで稽古に入って、約一月後の11月26日に衣裳担当者が素材を持って合流しました。仮縫いの段階のものはすぐ踊りに合わせて動けるかどうかのチェックです。幾つかの変更点はメールでやりとりしていたのですが、残された時間でやれることと変更点の確認をして仕事に入ってもらいました。ところが三日前に着くはずのミシンが届いていません。手縫いで出来る仕事から始めてもらい、日本で追跡調査をしてもらったところ、ミシンは一週間前にフランスの税関を通 っているという回答がありました。そう言えば稽古用の音楽CDやどうらんもまだ着いていません。ミシンと一緒に送った布地は着いているので税関でひっかかっている可能性があります。税関関係者のストライキの噂もあります。気をもんでいると週末に税関から連絡があり、正式なインボイスを送れといってきました。日本とやりとりしている時間がないので、事務所でフランス人とインボイスを作っていて気が付いたのですが、送付状の金額の欄が手書きで「¥60,000」となっているのですが、フランス人はそれを「760,000」と読みます。私もフランス人の気持ちでその数字を見ると「¥」が「7」に見えました。これでは税関もすんなり通すわけがありません。12月1日金曜日にようやくミシンが到着しました。11月26日、日本から送った船荷がパリの劇場に入ったと連絡がありました。12月3日日曜日には舞台監督とフランス語の堪能な制作担当者がアンジェに入り通し稽古を見て、その後全体の舞台技術とスケジュールの打ち合わせをしました。12月4日、バスでアンジェからパリへ移動です。その日の朝ようやく稽古用のCDが着きましたが、どうらんはまだ着きません。朝10時に出発し途中でパリ郊外の倉庫によって必要なものをピックアップし、劇場、ホテルと移動しました。5日朝から劇場のテクニカルディレクターと打ち合わせをし、同時に最上階にある稽古場で舞台の実寸通りに場見りをして、袖幕位置などの想定をして、午後から稽古です。夕方には照明担当者二人が日本から到着する予定です。7日は大道具と音響担当者、それに作曲家もパリ入りしました。8日にパリ郊外の二つの倉庫から舞台装置を搬入し、発注物も納品され仕込みの準備完了です。10日から舞台の仕込みが始まり、作曲家は手直しに追われ、衣裳担当はアルバイトを雇って寝る間もなく作り続けています。13日は朝からダンサーも一緒に照明の場当たりです。夜中になっても終わらず、翌日の朝から再開しました。午後は舞台上で音付きの通し稽古です。夜8時半からジャーナリスト関係のフォトコールです。その一時間前に届かなかったどうらんの予備を持って日本からもう一人の制作担当者が劇場に着きました。30人ほどのカメラマンが客席から撮影します。今回の作品は暗転が無いので最初から最後までランスルー。本番通りです。全員初めて、衣裳、音、照明付きで踊るわけです。翌日15日最終チェックをして初日を待ちます。演出家が手を出せるのはここまでで、後は個々のダンサーとスタッフの力量のみで舞台が決まります。初日は多くのジャーナリストやプロデューサーが招待客として来ていますので、作品の評価は初日で決まります。回を重ねるごとに慣れていくのですが、それでは意味がありません。我々の作品を買ってくれる人や宣伝してくれる人はほとんど初日に招待されているのです。疲れがたまりにたまった初日に評価が決まるのは辛いことですが、その後のパーティーでは「少し疲れがたまりましたが満足しています」とにこにこしながら愛嬌を振りまかなければいけません。

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