ラレコ山への道 蝉丸 徒然日記

Vol.68 「山海塾」2024年夏 スウェーデン

2024年10月

 スウェーデンのヨーテボリ・ダンスフェスティバル30周年に「UNETSU」公演で招聘されました。この町では、1984年「縄文頌」、1985年「金柑少年」、1992年「UNETSU」で来ています。意識していませんでしたが、1992年が第1回ヨーテボリ・フェスティバルだったようです。

 8月21日午前11時15分のフライトに間に合うよう前日に自宅を出発したのですが、台風9号の影響でパリからの機体の到着が遅れ、午後9時50分成田発に変更されました。当日は成田のホテルから一旦東京に移動して時間を潰し、10時間遅れのフライトに乗りました。経由地のパリ空港に午前5時40分に到着、7時間後の午後12時55分出発、ヨーテボリのホテルに午後4時過ぎ到着し、ヨーテボリ市立劇場に行きました。

 予定では22日朝9時から仕込み、午後6時終了でしたが、午後8時まで2時間ほど仕込みました。翌日朝から仕込みを再開したのですが、予定していた夜の通し稽古は出来ませんでした。山海塾メンバーから百木が抜け、高瀬が初めてこの作品に出演します。メンバースケジュールの都合で全員そろった稽古が出来ていません。24日公演初日の午前中に通し稽古をして、夜の公演に間に合いました。この作品は舞台全面に深さ15㎝のプールを作り水を張った舞台なので、上演時間の前後に注水、排水の時間が1時間ほど必要です。ダンサーの場当たりなど他の作品とは時間割が異なります。私は演出助手という立場で出演せず、舞台監督は別にいるので客席から公演を見る事が出来ます。開演前にフェスティバルのレセプション、開演後にフェスティバルのオープニングパーティーが有り社交で忙しく、この日はストックホルムから日本大使が来られたので、公演後舞台裏でダンサーと一緒に記念撮影をしました。24・25日両日とも見切れ席を除いた600席の劇場は満員、年配の観客が多いように思いました。終演後撤去作業、トラック積み込みは翌朝行いました。

 26・27日は、私と岩本、高瀬でワークショップ。ホテルから路面電車で25分ほどのところにあるスタジオで、一般の人対象です。日本人女性が一人参加していてチケット売り切れで、夫は見られたが本人は見られなかったそうです。ワークショップ会場で写真家の父親が過去に私たちを撮影したという作品を家族から受け取りました。

 ワークショップ終了後、大型バスで5時間ほど、ストックホルムにほど近いヤルナという小都市に移動。ヤルナの端という意味のユッテルヤルナという場所にシュタイナー教育に根差した文化地域があります。その一角に劇場、ホテル、レストラン、学校があり、1999年「UNETSU」、2012年「UTSUSHI」、2014年「TOBARI」で来ています。小さい劇場でスタッフも少なく、最初に来たときは大道具担当者は大工、照明担当者は電気屋という感じでしたが、確実に発展して来ました。夜11時ごろ到着、翌28日は休み。ユッテルヤルナ周辺は湖のような入り江と小高い丘に囲まれ有機農業が営まれています。その広大な土地に複数の散歩道が設けられ、観光客もやってきます。コロナ禍と出演しない演目が増えたせいだと思いますが、体力の衰えを強く感じることがあり、森の中をジョギングすることにしました。森の中は地表からむき出しになった大きな岩が点在し、アップダウンが続き、かなりの運動量になります。電気柵も所々設置されているのですが、私の故郷とは逆で、ここの柵は牛や羊が迷い込まないように設置されているようです。散歩道も電気柵が横切っているのですが、そのような所は横断陸橋の様に階段が設置され、人間は歩いて通れます。最後は牧場の中を通って5㎞ほどのジョギングでした。

向かって左側がスウェーデンのヨーテボリにある市立劇場。1934年、ヨータプラッツェン広場にオープンした。

ヨーテボリ市立劇場「Göteborgs Stadsteater」。大きなステージの収容人数は600人で、小さなステージもある。

 29・30日は「UNETSU」の仕込み。舞台装置はすでに搬入されていたので順調に作業が進み、30日午後再び森の中をジョギングしました。途中で別のコースを走ることにしたら、思いがけなく目の前に入り江が広がりました。海辺は湿地帯になっているので森の中を進むと、ヨットハーバーに着きました。劇場近くから見える場所だと思い一般道を走り、途中から森の小道を見つけて進み、牧場の中を進んだり湖畔に出たりしたのですが、劇場が見えてきません。道を聞こうにもあたりに人通りはなく、暗くなると大変なことになります。プライベートと書いてある道の先に除草している作業車が見えたので、犬に吠えられながら近づいて道を尋ねました。幸いこの中年の作業員は英語でユッテルヤルナの場所を教えてくれたのですが、私が思っていたのとは全く反対の方角でした。ここで思い至ったのですが、ヨットハーバーは複数あり、私は思い違いをしているということです。教えられた道を走っていると女性が歩いてきます。英語で道を尋ねると彼女は日本語で「グーグルマップで調べてみます」と言ったので「あなたは日本人ですか?」と聞くと「いいえ、中国人です」と言うのです。なんとも不思議な感じがしたのですが、日が暮れかかっています。「学校はこの先にあります」と言う彼女に礼を言って走り始めました。雨が時々降ります。暫くすると自転車に子供を乗せて走ってくる男性がいるので、道を尋ねると詳しく教えてくれました。道を尋ねた3人が同じ方角を教えてくれたので、間違いないでしょう。小雨の中、林の向こうにようやく見慣れた建物が見えてきました。GPS付きの腕時計をしていたので到着後スマートフォンで移動した経路を確認しました。迷走しながら16㎞、2時間のジョギングでした。最初からスマートフォンを持って走れば迷うことはなかったのですが、得難い経験をしたように思います。

 8月31日、500席の劇場は満員。年配の方が多いと感じましたが、若者も結構います。ストックホルムから多くの観客が来ているようです。ストックホルムは1983年から2002年まで7演目の公演を行っています。主に公演を行っていた Dansens Hus の支配人が亡くなり劇場も改装中で暫く来ていません。公演後、山海塾の印象を描いて個展を開いたという年配の女性からプリントした絵を受け取りました。9月1日、客席でこの文化施設のチェアマンにあたる老人と挨拶。彼からずいぶん久しぶりだと言われました。

 10年ぶりのスウェーデン公演でしたが、人々の記憶の中に山海塾が確実に定着していると感じました。

 翌朝パスポートを紛失した1人のスタッフはストックホルムの大使館へ、スコットランドに行く松岡は空港近くのホテルへ、本隊はパリの空港で6時間待って乗り継ぎ羽田空港へ。9月3日夜6時半に羽田空港に着いたのですが、私のスーツケースがなかなか出てこず、ベルトコンベアが止まってしまいました。空港職員に尋ねていると、ベルトコンベアが動き始めスーツケースが乗ってきました。急いで東京駅に向かったのですが最終のはくたかには間に合わず、かがやきで富山駅まで行き地方鉄道で泊駅へ。深夜1時に帰宅できました。

ヤルナにある「クルトゥルフセット・イッタージェルナ」。劇場、会議室、カフェレストランなどがあるカルチャーハウス。

自然豊かな町ヤルナのビオトープ。

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