ラレコ山への道 蝉丸 徒然日記
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COLARE TIMES
Vol.73 「山海塾」2025年秋 東欧ツアー
2026年4月
ポーランドのヴロツワフから『TOTEM 真空と高み』の上演を希望すると、2024年春に山海塾ウェブサイトに直接連絡が有りました。1981年に『金柑少年』を上演して以来の都市です。ブッキングエージェントのガエルにコーディネートを頼んだところ、同じ時期にジョージアのトビリシでも公演を希望しているとのこと。文化庁に助成申請をするため日程調整を始めました。ヴロツワフはDialog Festival、トビリシはGIFT Festivalで10月中旬から下旬にかけて行われます。舞台装置の輸送費は助成対象ではないので、日本からの輸送費を分担してもらう計画です。日程がほぼ判明した段階で、ヴロツワフからトビリシへ輸送するには13日を要するため間に合わないことが判りました。トビリシの上演作品を『海の賑わい 陸の静寂―めぐり(MEGURI)』に変更してフランスにある舞台装置を送ることにし、7月に松岡が渡仏、ヨーロッパに滞在していた市原とフランス倉庫で必要物品をパッキングしました。前回のトビリシ『金柑少年』上演ではトラックがパリを出発、ルーマニア経由、黒海をフェリーで渡りトビリシに到着しましたが、今回はロシアとウクライナの戦争で輸送会社の選定が難航し、ATAカルネの加盟国ではないこともあり多くの問題が起こりました。
さて、10月に世田谷パブリックシアターで『ARC 薄明・薄暮』を上演する予定でしたが、パリ市立劇場のマイケルが見に来ることになり、作品を『TOTEM』に変更してパリ公演の可能性を探ることにしました。
『TOTEM』の舞台装置は7月に船でポーランドに送ります。衣裳は手持ちにしても舞台装置は完全に2セット必要になりました。製作日数はあるのですが、以前トラックレールの製作を担当した荻原舞台美術と連絡が取れなくなり、新たな業者を探すことにしました。9月25日にはパソコンを使ってヴロツワフとビデオインタビューでしたが、相手が時差を読み間違えて開始できず、結局26日になりました。
10月6日に富山倉庫で舞台装置を積込み、その後三軒茶屋に向かいましたが、渋谷まで来ると東急田園都市線が列車の衝突事故で未だに動いていません。タクシー乗り場ではスマートフォンで予約した人達が先に乗り込むので途方に暮れました。娘に教えられてタクシーを呼ぶソフトをダウンロードしたのですが、使い方が判りません。そうこうしている内に空車表示のタクシーが来てホテルに行くことが出来ました。10月10日から13日まで世田谷パブリックシアター『TOTEM』公演。14日、成田空港12:35フライトなので、富山倉庫で舞台装置を受け取ることが出来ず、日本の次の公演地であるびわ湖ホールに送り、17日夜舞台袖に搬入となりました。パブリックシアター終演後、衣裳と舞台美術小物類をスーツケース2個に詰め、若いダンサーに託しました。
10月14日成田空港からアムステルダムを経由して、ポーランドのヴロツワフに夜11時半到着。翌朝オペラ座で仕込開始。劇場の吊り物バトンは角パイプで出来ているので、持ち込みのトラックレールのハンガーが使えるように丸パイプを用意するよう半年前に要求していたのですが準備してなく、無理矢理はめ込んで使いました。フェスティバルのテクニカルディレクターと劇場のテクニカルディレクターが別人なので話が通りません。よく有ることなので再確認しなくてはと痛感しました。
ステージマネージャーに山海塾の最新カタログをプレゼントしたら、翌日Teatr Kalamburという1958年から1994年までの前衛演劇集団の本をくれました。山海塾の写真もあり「私はこれだよ」と示すとステージマネージャーは「自分は当時1歳だった」との事。
ポーランドはその当時独立労働組合「連帯」が設立され、戒厳令布告の直前でした。1981年9月、パリまで迎えに来た大型バスに『金柑少年』の舞台装置を積み、制作兼照明担当の広岡はフランス語を話し、彼の助手の女性がドイツ語でポーランドの二人の運転手と会話しながら、西ドイツ、東ドイツを通ってポーランドに入りました。ワルシャワのホテルでルームメイクに来たボーイが米ドルを市中レートの10倍でポーランドズロチに両替するというので現地通貨を沢山手に入れたのですが、街では店に商品がほとんどなく使い道がありません。レストランも早く行かないと食べ物が無くなります。米ドルショップという物が有り、そこでは行列に並ぶことなく、酒、たばこを買うことが出来ました。共産主義の国に不思議な店が有るものだと思いました。参加したオープン・シアター・フェスティバルでは他の人達のパフォーマンスを沢山見ることが出来てとても勉強になりました。このとき山海塾公演を見たチェコの人が後にプラハの劇場支配人となり、1998年9月チェコのARCHA THEATREで『卵を立てることから-卵熱(UNETSU)』を上演することになります。
10月17・18日『TOTEM』公演。公演終了後、『TOTEM』と『MEGURI』衣裳、舞台美術小物類をスーツケース5個に詰めてホテルに移動、別会場でレセプションがあり多くの人と話しました。滞在中に一人のダンサーがバスタブに給湯したまま寝込んでしまい、部屋中水浸しにしてホテルスタッフに起こされるという事件が起きました。旅行保険に加入しているのですが、ホテルからは連帯保証人のサインを求められました。この件も非常に複雑な経緯をたどります。
翌19日は街を観光し、夕方のフライト、ワルシャワ経由でジョージアのトビリシに真夜中の3時過ぎに到着。当初のフェスティバル予定では20日から仕込開始でしたが、会場のオペラハウスで政府主催の第5回シルクロードフォーラムが開催されることになり、23日の夜まで使えません。主催者の招待でトゥマニシュビリ劇場隣のカフェで昼食を取り、劇場を見学しました。夕方オペラハウスの下見に行きましたが、ハイテク機材で舞台上が覆われていました。70カ国以上2,300人を超える参加者だそうです。宿泊はどうするのかな?
21日、フェスティバルの招待で古都ムツヘタにあるジワリ修道院を見学、帰りにレストランで郷土料理を食べました。22日、稽古場を借りて『MEGURI』リハーサル、夜は在ジョージア日本大使の招待で旧市街の硫黄温泉地区にあるレストランで食事。23日、トゥマニシュビリ劇場でプレスコンフェランス、その後ballet academyで子供たちの伝統ダンスを見学、稽古場でリハーサルを行いました。夜9時から劇場仕込ですが、舞台装置を積んだトラックが到着しません。舞台上にアクティングスペースをマーキングして照明作業を始めます。オーバーヘッドの照明バトンにはものすごい数のムービングライトやLEDライトが吊ってあり、従来型のハロゲン灯は倉庫にあります。吊り替えることは出来ないので劇場オペレーターが操作します。ようやくトレーラーが到着しましたが、中で物品が動きかなり散乱していました。前回も同じ様なことが起きたのですが、20フィートコンテナーと違って固定する場所が無いようです。背景になるパネルもダメージを受けていたのですが、時間が無いのでそのまま吊り込みました。作業時間を2時間延長して深夜ホテルに戻り、翌日朝9時仕込再開、夜11時ホテル戻り。
25日、朝から仕込再開、午後舞台上でリハーサル、私も出演するのですが、リハーサルは照明チェックのため客席から見ます。そして気づいたのですが、ムービングやLEDはフェードイン、アウトが大雑把になってしまい本来のクオリティーが失われるのです。しかし今やそれが主流、従来型の照明機材Conventional Lightingと言うそうですが、その電球が生産中止に追い込まれています。対応していくしか有りません。夜8時『MEGURI』公演。大きな会場ですがほぼ満員のようです。開演時間を過ぎても数人のスピーチが15分ほど続き、袖で待っていて体が冷えてしまいました。終演後、撤去積込み、日本に持ち帰る衣裳、舞台美術小物をスーツケース4つに詰めてホテルに戻りました。
翌日パリ経由で27日夜7時半、羽田空港到着、浜松町のホテルに1泊して28日帰宅。翌29日朝、びわ湖ホール。31日ゲネプロ収録、11月1日『TOTEM』マチネ公演、帰宅。2日、富山倉庫に舞台装置格納。濃密な一月が過ぎましたが、その後もホテルの損害賠償、トビリシからパリに戻るトラックの書類問題に悩まされることになります。

ヴロツワフ・オペラ座(Opera Wroctawska)
ヴロツワフのランドマーク的な建物のひとつ

ヴロツワフ・オペラ座
『TOTEM』を5階から俯瞰

ヴロツワフ街角にて「ヴロツワフの小人」

トビリシ国立オペラ・バレエ劇場
東ヨーロッパで最も古いオペラハウス

トビリシ国立オペラ・バレエ劇場
古い劇場だが、機材は最新

ミヘイル・トゥマニシュビリ(1921-1995)
20世紀ジョージア演劇界を代表する演出家・演劇教育者
トビリシに自身の名を冠した、トゥマニシュビリ劇場を創設












