ラレコ山への道 蝉丸 徒然日記

Vol.74 「山海塾」2026年1月 台湾

2026年6月

 台湾のNew Aspect Promotion Corporationから久しぶりに公演依頼が来ました。
 2017年の『海の賑わい 陸の静寂 MEGURI』公演は波乱ずくめでしたが、その後台湾のプロモーターが亡くなり、暫く連絡が有りませんでした。父の後を継いで息子のフーフーがプロモーターとなり、山海塾の新作『TOTEM 真空と高み』上演の折、北九州芸術劇場で会い、台湾の新しい劇場の話が出ました。劇場使用は抽選で決まるため、山海塾のスケジュールとの摺り合わせに時間が掛かりましたが、2026年1月中旬になりました。『TOTEM』に出演している壮太郎が別件で参加出来ないので、台湾でまだ上演していない『降りくるもののなかで TOBARI』で交渉していたのですが、フーフーの母親が2008年に上演した『かがみの隠喩の彼方へ KAGEMI』をもう一度見たいとのこと。リ・クリエーション以後、私は出演していないのですが、壮太郎の代わりに出演することにしました。

 『KAGEMI』のダンサーのポジション替えや衣裳合わせを行ったところ、私は痩せてしまって2景目の私の衣裳がダブダブです。私の衣裳は市原が着て、私は岩下の衣裳を着ることにしました。基本オリジナルポジションで踊ることにしたのですが、以前とはメンバーが入れ替わっている事もあり、しっくりきません。自分の舞踏譜ノートを読み返してもダンサー同士の掛け合いなど細かな点は判りません。借りる稽古場のスケジュールに数人のダンサーが参加出来ないので、通し稽古は劇場入してからになりました。
 舞台装置は20フィートコンテナーで富山倉庫から出すのですが、主催者指名の輸送業者がATAカルネ(物品の一時輸入のための通関手帳)を作ることが出来ないというので、過去にカルネ作成を頼んだ知り合いの業者と掛け合ったところ、作成だけだと通関業務が困難だとのこと。主催者に輸送業者をこの業者に変更するよう交渉して作業を進めたのですが、料金の折り合いが付かず搬出日直前に輸送をキャンセルされてしまい、公演そのものが危うくなりました。ここからは必死になっていろいろなつてを使い、主催者、輸送業者双方を説得して輸出にこぎ着けました。振り返ると新型コロナや戦争の影響で、船荷のスケジュール、コストともに不確実性が増していたのだと思います。

 1月7日出発。夜、台北のホテルに到着。皆で近くのフードコートに行き食事。いろいろな店があり、それぞれ好みの物を注文して皆で分け合いましたが、最近外食することが無かったので、久しぶりに賑やかな食事会になりました。

フードコート

 8日、朝9時から台北パフォーミングアーツセンターの大劇場で仕込開始。コンテナーを運ぶトレーラーが市中を走行出来る時間帯に制限があり、劇場には10時半到着。荷捌き場の床よりトレーラー床が37cmも高く、多くの梱包を解いて搬入しました。『KAGEMI』は97枚のFRP製の蓮の葉が昇降する作品ですが、新しい劇場の美術バトン昇降システムはとても適合しています。ですが、照明機材がムービングやLEDライトがほとんどなので、従来型の照明機材でデザインされた山海塾作品を扱うには多くの問題が有り、ある程度の妥協が必要です。客席は左右非対称で舞台センターを錯覚します。
 午後1時から報道関係者のインタビューが有り、ダンサー全員の集合写真を撮った後、私がひとりで1時間ほど応対しました。通訳は、スマホに音声を吹き込み翻訳された文字を読み取って回答するという、初めての経験でした。20人ほどの報道関係者は過去の山海塾作品を見ていて、多くの質問が天児の亡くなる前と後でどの様な変化があったか、演出や振付に変更が有るかというものでした。それに対する答えは「作品の演出家は天児であり、私は天児の生前から演出助手であり今も同じです。振付も完璧に同じになるよう心がけていますが、人が替わればその個性も替わるという事は有ります」

 9日、夜の通し稽古まで過去の映像を見ながら個人稽古をしましたが、映像が正しいとは限らないので、繰り返し踊ってしっくりする動きを探しました。リ・クリエーションの段階で変更が行われていることも考えられるので、群舞のパートは一緒に踊るメンバーに確認して進めました。過去に何度かメンバーが交代しているので、舞台上での掛け合いに変更が出ています。つまりパターンが複数有るので、どれが今のメンバーにしっくりくるか探さなければなりません。袖幕からの出はけのタイミングや順番を確認し、ようやく音付で通し稽古です。衣裳は着けず稽古着で、照明の打ち込みは終わっていないので作業灯で行います。それでも感覚が戻ってきて違和感のある場所に気づき始めました。

 10日、マチネ公演。本番の舞台上で踊りながら、幾つもの本来のきっかけとなっていた音、灯り、掛け合いの動きなどを思い出しました。と言うより、体が覚えていたという感覚です。これが『KAGEMI』リ・クリエーションバージョンの私のデビューでした。翌11日もマチネ公演で本番前に打ち合わせ、そして本番中に新たに思い出す感覚がありました。
 公演終了後、舞台上で関係者と記念撮影。松岡は個人スケジュールの関係で撤去作業中に帰国。1時間の休憩を挟んで舞台装置をコンテナーに積み込み、夜は台湾料理店で打ち上げパーティー。その席でフーフーが「次の台湾は2都市2作品をやろう。『金柑少年』をやりたい」と言って盛り上がりました。

 

Taipei Performing Arts Center
劇場外観客席部分が空中にはみ出ている

非対称の客席

インタビュー前の撮影

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