ラレコ山への道 蝉丸 徒然日記

Vol.07 山海塾の作品制作

2000年12月

山海塾はほぼ2年に1度作品を作ります。他のグループに比べると少ない方です。1982年からパリ市との共同製作で初演はパリ市立劇場で行ってきました。共同製作のパートナーはパリ市以外にもその時期によって複数います。今アンジェというパリから300キロほど西南の町で山海塾のダンサー全員が缶詰状態で稽古していますが、ここの稽古場及び宿泊施設についてもある組織が無償で提供しています。共同製作者は多国籍に及びますがそれらから経済的、技術的、環境的な援助を受け山海塾はその対価としてその国での初演権を与え、その作品を上演するときには共同製作者の名前を告知するという義務を負います。文書で書くとややこしい気がしますが、簡単に言うといろんな組織が「お金や物を提供するからいい作品を作れよ。その代わり感謝の気持ちを忘れずに我々の存在を宣伝しろよ」ということです。この形は最近日本でも取り入れられ山海塾の今回と前回の作品には日本の組織の名前が共同製作者として必ずパンフレットに載ります。残念ながら今のところ経済的援助にとどまり、なかなか技術的、環境的援助までは踏み込めないようです。

フランスで作品を作るようになったときはあまりの環境の良さに躊躇しましたが、芸術というものはあればあるだけ消費するもののようです。お金、時間、体力、空間。母の「もったいない」という言葉が気になります。いったいどれだけのものを創造できているのだろうかという思いに捕らわれることがあります。我々は経済的には非生産者だそうです。私自身はそうは思いませんが、確かに何か形に残るものを生産しているわけではありませんし不景気になると文化予算が最初に削られるところを見ても一般的にはそうなんだろうなと思います。会社でいうと福利厚生費の削減といったところでしょうか。そういう諸々の思いもあって作品制作となるとすべてに優先してのめり込んでゆきます。今回は2000年9月から具体的に制作に入り、舞台装置は初めて朝日町で制作しました。9月10日から地元の人もパートに雇って制作を続け10月17日にコンテナーに載せるまで休み無しでした。そして東京では音楽の打ち合わせや録音、衣裳の作成が同時進行しやり残した仕事に後ろ髪を引かれつつ10月22日にフランスに来ました。23日にアンジェに移動し1日6時間の稽古の開始です。個人稽古が必要になる時期になると1日に9時間ほど稽古します。その合間にパリの劇場のスタッフと発注物やスケジュールの打ち合わせ、小道具の制作をしなければなりません。11月下旬には衣裳担当者が日本から来て一緒に滞在し、動きに合うように一人一人の衣裳を仕上げていきます。12月になるとパリに移動して劇場の最上階にある、舞台と同じ大きさの稽古場で稽古に入ります。すべての部署のメインスタッフが日本からパリに入り劇場の中でそれぞれの作業に入ります。そして上演1週間前から舞台上で照明や大道具の仕込みが始まります。今回は12月15日が新作の初日、27日から30日までが前回の作品の上演で31日に帰国の飛行機に乗ります。年越しは飛行機の中の予定です。2ヶ月余り全力疾走の感ですが、好きでやってることですから集中力はとぎれません。年季も入っているので息抜きの仕方も知っています。しかし若いダンサーやスタッフが潰れないように気配りもしなければいけません。一番問題なのはこの間の4ヶ月一切の興行収入が無く、莫大な支出ばかりということです。発注先やメンバー個々人に経済的不安を与えてはいけません。何しろ演出家からは我が儘としか思えないような要求がどんどん出てきます。それを支えているのが共同製作者というわけです。有り難いことにこの共同製作者達はお金や物は出しますが口は出しません。出来上がった作品がすべてです。作品が良ければ世界中で上演するたびに彼らの名前が出ます。作品が悪ければ二度と共同製作者になることはありません。作品の善し悪しはどう判断するのでしょう。実は私もそれは知りません。

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