ラレコ山への道 小野木豊昭 古典空間への誘い

【其の壱拾四】 楽屋は楽しい?

2000年9月

 先日、歌舞伎の若手俳優さんたちが自主的に続けている研究公演があった。大作を3本も並べた豪華な内容で話題を呼んだ。私たちはこの数年来、俳優さんたちが手弁当で頑張っているこの公演の制作面 のお手伝いをさせていただいている。伝統芸能と言っても、邦楽のコンサートと比較するとそこはお芝居。打ち合わせの分量 も並大抵ではゆかない。忙しい俳優さんたちの出番の合間を見つけてする打ち合わせは当然楽屋だったりする……。

 しかし私はその「楽屋」が大の苦手なのだ。舞台制作の仕事をしていて「楽屋」が苦手などと口にするのは何とも憚られるのだが、やっぱり苦手だ。なぜだろう。それは妙に「気をつかう」空間だからなのだ。

 伝統芸能に限らず、あらゆる舞台芸術、イベント等に「楽屋」は不可欠だ。「楽屋」は、町を歩いている時はただの人である人間を、圧倒的な存在感と磨き上げられたパフォーマンスにより不特定多数の人々の心をグラグラに揺さぶる人間に変身させる空間でもある。

 十数年前、私はあるストリップダンサーの虜になった。彼女を“追っかけ”て、北海道から九州まで行脚したことがある。楽屋口で「出待ち」もした。これは一種の恋愛だと思う。完全に脳内麻薬が分泌された状態。覚めるまでは自身を客体化することは非常に困難だ。そんな時の楽屋こそ、まさに神秘のベールに包まれた妖しくも甘い、想像力のみが入室可能な空間なのだ。同じころ、義太夫の稽古に没頭してもいた。年間5~6回の発表会やおさらい会に出続けた。黒々と自分の名前が書かれた楽屋札を見ると妙な特権意識が首をもたげ、普段は「ゲーノー人ぶってんじゃネーヨ!」と嫌悪していた夜でも昼でもの「おはようございます」を平気で言ったりできた。楽屋見舞いなどもらった日にはもう得意絶頂のスーパー素人をつくり出す空間でもある。

 王朝時代、舞楽が舞われる際、その伴奏楽器である笙、篳篥、琵琶、箏等が演奏される場所のことを「楽之屋」と言ったそうだ。まさに音楽を奏でる部屋。その「楽之屋」が、演奏スペースと舞人が装束を付ける場所に屏風等で仕切られるようになり、後に本来の演奏スペースとしての機能がパフォーマーたちがステージの支度をする機能にとってかわったということらしい。

 出番前の支度にやってくる衣裳、床山、付人、次回の公演の打ち合わせにやってくるプロデューサー、支給の弁当に飽きた出演者が注文したラーメンの出前、ステージの出来の善し悪しに関わらず、一言でいいからとお話がしたくてやって来るお客様……様々な人たちが出入りし、様々な思いが交錯する楽屋という世界。楽しい部屋だから楽屋という解釈でリラックスするアーティストもいれば、変身前の厳粛な空間と捉え面 会謝絶をきめこむアーティストもいる。“空気を読む”ことも仕事の一つであるプロデューサーにとって、やはり「気をつかう」空間であることに違いない。

(2000年09月 COLARE TIMES 掲載)

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