ラレコ山への道:国際交流員「目からウロコ」

#27 西欧のお風呂文化

2022年3月

 アメリカでは、結婚式を行うのに最も人気の時期は6月だと言われています。初夏に結婚式を挙げることは昔から続いてきた伝統であり、June Bride(ジューンブライド:6月の花嫁)という表現が今でも使われているほど浸透しています。1954年の「掠奪された七人の花嫁」など、ジューンブライドが出演した映画のおかげで、こういう概念が日本にも広がっているみたいです。

 どうしてこんなに6月の結婚式が人気なのでしょうか。確かに西欧では、6月は天気がよくて生活が落ち着く時期として知られています。しかしこの理由とは別に、奇妙なルーツがあります。

 私が子どもの頃よく聞いていたのは、「中世ヨーロッパでは、体を定期的に洗う人があまりいなかったからです。ほとんどみんな、年に1〜2回ぐらいしか入浴しませんでした。1年の最初の入浴は、天気が暖かくなってきた5月ごろで、花嫁が悪臭を放つ前の6月に結婚式を挙げていたのです。それに、花束を持つ伝統は、花嫁の体臭を隠すことに由来しています」ということです。

 このような理由はよく言われており、インターネットで検索しても、この説明を載せるサイトが非常に多いです。私自身は子どものときにこういう話を聞き、「あ、確かにそうね! 昔の人は衛生のことを全然知らなくて、きっとクサかったことでしょう!」と思いました。

 しかし……上の説明を読み、「え?」と思った人がいるかもしれませんね。実は合理的な面から考えると、筋が通らないところが出てくるのです。まず、500 – 1000年前に住んでいた人間は、生物学的に現代の私たちと一緒です。みなさん、長い間入浴できない時、嫌な気持ちになりませんか? きっと、昔の人もそうそうだったではないでしょうか? また、どうしてこの説明は花嫁側の一方的な話になっているのでしょうか。当時はほとんどが農民であり、毎日外でコツコツ働き、汗びっしょりになる男性と結婚する場合、悪臭を隠すなら花婿にも花束を持たせた方が良いのではないのでしょうか?
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 これらの誤りを暴くために、はっきりさせておかないといけないことがあります。まず、「中世ヨーロッパ」というと、5~15世紀にかけた長い時代で、多様な文化があった地域です。時代や地域によって、環境も習慣もまったく違います。しかし、残っている日記などの資料のおかげで断定的に言えるのは、中世ヨーロッパの人はそれぞれの環境によりますが、できるだけ入浴するようにしていたそうです。

 貴族だけではなく農民も、毎朝起きた時、顔、手と足などを徹底的に洗い、歯も磨きました。食事をとる時、スプーンとナイフ以外に手も使うため、事前にしっかり手を洗うようにしていました。

 確かに毎日、全身を洗う人は少なかったことでしょう。家でお風呂に入ることができる人はほとんど貴族に限られていました。家にお風呂がある人は少なかったし、もしお風呂があったとしても、川などからお水を運び、熱し、お風呂がいっぱいになるまでそれを繰り返すのは手間がすごくかかるので、そこまで余裕がある農民はなかなかいなかったことでしょう。その結果、家のお風呂の代わりに、温泉、川、湖や浴場などが利用されていました。
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 現代では、浴場や銭湯が中東・東アジアだけのものだと思う人が少なくないと思います。確かに、今の西欧に住んでいる多くの人々は、他人の前で裸になり入浴することは、考えられないほど恥ずかしいことと思っているかもしれません。しかし、昔はそうではありませんでした。ローマ帝国の時代、浴場に行くことがみんなに楽しまれていた娯楽で、それは英国まで伝わり、ローマ帝国の衰退の後も浴場は営業していました。その上、11世紀から13世紀にかけた十字軍で戦った軍人は、中東にいた間にイスラム教徒やユダヤ人の伝統的な浴場に慣れ、ヨーロッパに帰ってからさらに浴場のサービスを求めていたと言われています。中世後期の浴場は、食事も楽しめる社交の場所でした。浴場は共同石窯の隣に設置されることが多く、お風呂の水を熱するのに共同石窯の排熱を利用していました。ということは、入浴しながら焼きたてパンを食べることができたのです!

 定期的に入浴することを健康の専門家や医者たちが推奨したことで、それまで不快感に悩まされた妊婦やお年寄りにも常習的な入浴が命じられました。また教会では、入浴せずにいることは罪滅ぼしとして認められていたそうです。一般的には、悪臭が病気の徴候になると思われ、不衛生な状態は病気の原因になるシラミや寄生虫を招くことが知られていました。もちろん、衛生的な環境に恵まれない人もいました。その時代の最も貧しい人は、冬の間は川が凍って水が使えず、浴場の利用料金も払えず、全身を洗えずに暮らしていたことでしょう。

 しかしながら、中世の時代にお風呂文化がそんなに大切にされていたのなら、どうして私たちが今持っている感覚がこんなに変わってしまったのでしょうか。

 中世後の啓蒙時代やビクトリア時代(約17 – 19世紀)の間、衛生習慣だけではなく、様々な面で歴史を修正する活動が行われていたのです。「今の開花を強調するために、前の時代の未開を強調する」という目的で、捏造された話が広げられました。今でも現代の歴史家たちは、その時代に隠されてしまった事実を発見しています。

 17~18世紀のごろ、お風呂に入ると熱湯で毛穴が開き、黒死病や梅毒などの感染症が簡単に体に入ってしまうという理論が流行り、清潔に対する信念に影響を与えました。その結果、全身をお湯で洗うことの回数が減り、香水などの体臭を隠す化粧品と清拭の人気が増しました。同時に、「今の私たちは全身を入浴していないなら、きっと昔の人々もそうだっただろう」や「私たちの方が進化しているので、昔の状態の方が悪かっただろう」という考えが広がっていたみたいです。信じたいことがある時、事実から離れてしまう可能性があります。

 特に西欧では、進化がずっと真っすぐ進んでいくと考えがちだと思います。現代の私たちは、昔の人より頭が良く、賢く、知識が深いと信じたい傾向があるかもしれません。しかし、必ずしも「今の状況より、昔はさらに悪かった」というわけではありません。

 「ジューンブライド」の本当の由来は、古代ローマ時代にルーツがあります。「ジューン(英語で6月という意味)」の名前は、出産や結婚生活などを保護する「ジュノー(日本語:ユーノー)」という女神から来ています。ユーノーの月に結婚した夫婦は、長続きで幸運に恵まれる結婚生活を送ると思われていました。そして花嫁が持つ花束は、悪霊や不運を払うために使われていたということです。

 今でも、「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」などの映画では、中世ヨーロッパは汚くて、無知な人たちの時代として描いてあります。今後は、中世の描写が見直さると良いのではないかと思います。

(2022年03月 COLARE TIMES 掲載)

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