ラレコ山への道:国際交流員「目からウロコ」
コラーレ倶楽部
アクティブグループの部屋
COLARE TIMES
#05 Racism(人種差別)
2012年2月
英語で「Racism」は人種差別を意味します。幸いなことに在日以来、私は未だ外国人としてあからさまな人種差別を受けてはいません。外見では見分けがつけられないこと、そして簡単なやり取りであれば日本語をしゃべっていてもごまかしが利くからではないかと思っています。しかし他の外国人に訊いたところ、以下のような経験があるそうです。黒人のD氏が電車で向かい合ってた親子のやり取りです。
子「ママ、ああいう人初めてだね」
母「しっ!」
子「顔色が変だね。汚いのかな?」
母「彼はアフリカから来たのよ。静かにしなさい」
子「本当に?」
母「そう、アフリカよ。野獣とかハンターが映ってたドキュメンタリー、一緒に見たでしょ」
子「本当? すごい! でもなんで日本にいるの? 日本語わかるかな?」
母「知らないわ。でもアフリカ人だからわからないんじゃない!?」
そもそも彼はアフリカ人ではなく、そのやり取りも理解していました。そして、黒人のJ氏がデパートのフードコートでひとり、食事をしているときに子どもに「わ~!黒い!」と言われ指でつつかれたというエピソードもあります。それから、イギリス人のB氏が金髪に青い眼といった典型的な「外国人」である故、所構わず見つめられていること。中東と日本人のハーフのA氏が日本国籍・生まれ・育ちであるにも関わらず、「日本人」として見られないことなど……。
最初の2件においては、彼ら二人とも「無知によるものだからしょうがないよ」と反応し、寛大にスルーしました。わたしは悪いと知りつつ、正直おかしいなと思ってしまいました。しかし、激怒した友だちが数人いたことは言うまでもないですね。これが疑問を呼び起こしました。「無知」ではなく、すなわち知識を得た上で差別は消えるものなのか。
オーストラリアは多文化共生が進んでいると私はよく豪語しています。しかしそんなオーストラリアでも恥ずかしながら人種差別は多々発生しています。私が経験しただけでも以下のものがあります。
■小学生時代に「チン・チョン・チャイナマン!」と呼ばれ、からかわれていた。
■シドニーの街中を家族と歩いていたら「てめぇら、国へ帰りやがれ!」と怒鳴られた。
■「チャッツウッド(近くの商業地区)ね。あそこはアジア人が増えすぎたから、行かなくなったの」と、私に堂々と告げる白人の同僚。
■田舎でボランティアしていた際、子どもにパンチとキックを入れられ「これでも食らえ、ジャッキー・チェン!」と言われた(彼にとってアジア人はすべてジャッキー・チェンかブルース・リーだった)。
上記の(いずれもオーストラリアでは人種差別と認知される)エピソードで唯一「無知」によるものが最後の件ですが、これが最も無害だったと考えています。他のエピソードにおいての加害者は知識を備えながらも悪意を込めて発言をしていました。無知が有害な差別を生むのではなく、優越感や不安感による嫌悪がそういった差別を生みだせるのではないでしょうか。私としては無知による差別か知識を得た上での差別、どちらかを選ぶとすれば、間違いなく無知による差別を選びます。
もちろん日本では有害な差別がないと言っている訳ではありません。ネットをざっと調べてもわかるように、日本では政府、メディアおよび個人レベルでの人種差別が広く行き渡っていると言われています。それは単に外国人が不満と感じる些細なものもあれば、かなり深く根差したものもあるのでしょう。日本が本当の意味で国際化するにあって向き合わなければならない問題です。さらに人口減少対策として活用されるであろう移民政策を実施する上で検討すべき課題でもあるのでしょう。
見つめられることを嫌がったこの外国人は、自ら作った偽ブックカバーを利用した面白い対処法を取ることにしたようです。
(2012年02月 COLARE TIMES 掲載)