ラレコ山への道 蝉丸 徒然日記
コラーレ倶楽部
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COLARE TIMES
Vol.72 「山海塾」2025年夏 ソウル
2025年11月
韓国公演は4回目。1995年『UNETSU』、2002年『HIBIKI』、2007年『KAGEMI』、今回は『KŌSA』。いずれもチャンム国際芸術祭(Changmu International Performing Arts Festival)への参加です。キム・メジャ(金梅子)という女性が率いるグループが主催するフェスティバルで、今回が31回目。伊藤のスケジュールの都合で当初ダンサー6人の『TOBARI』公演を予定していたのですが、パンデミック時の作品である『KŌSA』の上演を希望すると言われて、急遽私が出演することになりました。舞台美術や衣裳、メイク道具はスーツケースに詰め手持ちで行きます。ダンサー7人、技術スタッフ4人、制作2人の総勢13人。アーツカウンシル東京の助成対象事業として行います。入国に必要なビザ取得を業者に依頼してあったのですが、出発の直前になりました。また事前にパソコンで個々人が電子入国申告書を提出しました。
8月23日、朝一番の新幹線で羽田空港に行きメンバーと合流。ソウル到着後の空港からの移動やホテルは山海塾で手配しました。ソウルも東京と同じ様に海外からの旅行客が多く、タクシーやホテルの予約が難しいようです。スノーフラワー・ゲストハウスという24時間台所で無料の食事が出来る格安ホテルで、静岡、名古屋から来たメンバーと合流し、午後7時からフェスティバルのオープニングイベント会場に行きました。フェスティバルでは他のグループの出し物が見ることが出来るので勉強になります。キム・メジャの娘や孫が迎えてくれましたが、キム・メジャ本人は自分たちのスタジオ公演のために来ていませんでした。本人も出演していたそうです。
24日、前回と同じアルコ芸術劇場(ARKO Arts Theater)で、午前9時仕込開始。客席や搬入口は同じですが、舞台機構が完全に新しくなっていました。通常ランチタイムとディナータイムはサウンドチェックに当てているのですが、劇場の決まりで全員休憩です。午後1時半、劇場でダンス雑誌のインタビュー。
25日、劇場が休館日なので仕込は出来ず、私と岩本、高瀬で11時から午後2時までワークショップ。会場は韓国芸術総合学校(Korea National University of Arts)という劇場も併設されている素晴らしい建物で、20人ほどの参加者も非常に熱心な態度で3時間を過ごしました。 ワークショップ後、別の雑誌のインタビュー、その後川沿いを散歩して時間を潰し、午後5時から焼き肉レストランでキム・メジャとディナー。私たちの他に海外からフェスティバルに参加した人やキム・メジャの教え子でダンスの指導者になっている人達と過ごしました。
26日朝から仕込、19時半開演。この作品では私が音楽を聴き取って4人で合わせる振りがありました。24日の通し稽古では完璧に出来たのに、本番では客席が観客で埋まったせいだと思いますが、音が聞き取れません。日本から吉川が来て撮影していたのに失敗してしまいました。悔しい。山海塾の若手ダンサー数人は韓国公演やワークショップを行っているようで、友達が沢山見に来ました。
27日、11時チェックアウトなのですが、帰国のフライトが午後7時50分発なので荷物をホテルに預ける交渉をすると、1個あたりの預かり料が高額だったので一部屋借りる事にしました。数人連れだってホテルから歩いて行ける距離にある朝鮮王朝時代の王宮である景福宮(キョンボックン)を見学に行きました。毎月最終水曜日は入場無料だそうで、その日に当たりました。チマチョゴリを着て訪れると誰でも入場無料だそうで、韓服を着た外国人が沢山居ました。とても広い敷地内に沢山の建物や植物園があり、気候も穏やかだったのでとてもリラックス出来ました。その後ホテルの近くで韓国冷麺を食べました。蕎麦のような麺で普通の冷麺とは違ったのですが、とても美味しかったです。
午後3時50分ホテル集合、金浦空港を出発し、羽田空港に夜10時到着。5個のスーツケースを宅配便で富山の自宅に送り、私は都内で1泊。翌日、銀行振込みなどの仕事をして帰宅しました。18年ぶりの韓国公演でしたが、80歳は超えているであろうキム・メジャの元気とその教え子達の活躍を見て、山海塾を続けて行く勇気を貰いました。

アルコ芸術劇場(ARKO Arts Theater)

ダンスワークショップ

街に囲まれた王宮

キム・メジャと記念撮影











