ラレコ山への道:国際交流員「目からウロコ」
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COLARE TIMES

#11 キング牧師記念日
2026年2月
皆さん、お久しぶりです! 黒部市国際交流員のルーカスです。
今回は、近代アメリカ史において有名な人物「マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師」についてお話しします。彼の誕生日(1月15日)をきっかけに、毎年1月の第3月曜日に記念される「マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの日(略してMLK Day〈MLKの日〉)」が、アメリカ合衆国の国民の祝日として定められています。
まず、当時の状況と歴史を少し説明しなければなりません。20世紀半ばのアメリカ社会(特に南部諸州)では、非白人に対する人種差別と人種隔離法がまだ多く残っていました。この人種隔離法は一般に「ジム・クロウ法」と呼ばれ、交通機関や水飲み場、トイレ、学校や図書館などの公共施設、さらにホテルやレストラン、バーやスケート場などにおいても、白人と非白人を隔離することを合法とするものでした。さらに「ジム・クロウ法」の下では、非白人と白人の結婚を事実上違法とする州法や、非白人が公職選挙への出馬、投票権、住宅所有などにおいて厳しい制限を受ける州法も含まれていました。
当時の公民権指導者の中には、この社会的な人種差別に対してどのように抵抗すべきか、また公民権をどのように実現すべきかについて、さまざまな意見を持つ人々がいました。たとえば、どんな手段を使ってでも抵抗すべきだと主張する急進的な黒人解放派がいる一方で、キング牧師は穏健派の指導者として、非暴力抵抗と市民的不服従を訴えました。キリスト教信仰とマハトマ・ガンディーの教えに基づいた彼の非暴力抵抗運動には、指針となる6つの原則が示されています。
1)暴力を使わずに「悪」に抵抗できること。
2)敵に恥をかかせるのではなく、敵から友情と理解を得ることが目的である。
3)「悪事を行う人間」を敵視するよりも、「悪」そのものに反対するべきである。
4)苦しみには罪をあがなう力があるため、非暴力主義者は抵抗せず苦痛に耐えることが必要である。
5)暴力的な行為だけでなく、精神的な悪意も避けなければならない。
6)宇宙は道徳と正義の味方であると信じ、非暴力主義者は未来に希望を持つ。
1955年から1968年にかけて、公民権運動が多くの成果を上げる中で、キング牧師が大きな影響を与えた理由のひとつは、マスコミ、新聞、テレビなどの広報をうまく利用したことにあります。ハンサムで雄弁な指導者として全国放送に登場した彼は、国民の注目を人種差別問題へと強く引きつけました。そして、彼の平和的なデモに対して警察犬、消防ホース、警棒、催涙ガスなどが使われる暴力的な対応が映像で伝えられると、多くの国民の間に哀れみや怒りの感情が広がりました。こうして彼の理想的なビジョンと非暴力的な戦略は国内外の世論を動かし、キング牧師はアフリカ系アメリカ人公民権運動を代表する人物として認められたのです。
1968年4月4日、テネシー州メンフィス市に滞在中、ホテルのベランダに立っていたキング牧師は、白人男性ジェームズ・アール・レイに撃たれ、暗殺されました。すぐに病院に運ばれましたが、約1時間後に死亡しました。キング牧師の暗殺直後、多くの都市で怒りと悲しみが津波のように広がり、怒りに包まれたアフリカ系アメリカ人による暴動が発生しました。しかし、葬儀が行われると、その怒りは悲しみに変わり、結果的にアフリカ系アメリカ人だけでなく多くのアメリカ人が葬儀に参列しました。死後およそ15年後、キング牧師をたたえ、その功績と栄誉を称える国民の祝日は、ロナルド・レーガン政権下の1983年に法案としてサインされ、3年後に施行されました。この祝日は、彼の誕生日(1月15日)に近い1月の第3月曜日と定められています。



















