ラレコ山への道 蝉丸 徒然日記

Vol.59 「山海塾」夏ツアー2018 ヨーロッパ

2018年11月

今年は3月に北九州芸術劇場で「UNETSU」のリ・クリエーションを行い、6月に世田谷パブリックシアターで「UNETSU」と「金柑少年」のリ・クリエーション再演を行った関係で、海外公演ツアーは少なくなりました。

8月28日早朝、新幹線で東京へ行き浜松町駅で書類を受け取り、羽田空港から松岡、百木と共に午後2時発パリ行きのフライトで、その日のうちにパリのホテルに着きました。日本との時差7時間。

翌8月29日は、パリから電車で1時間ほど南にあるヌムールという町にある運送会社の倉庫に行き、まずジョージア国のトビリシから戻ってきた「金柑少年」舞台装置の整理を行い、次に「MEGURI」の舞台装置をパッキングしてトラックに積み込みました。公演するイタリアで舞台用の砂が見つからなかったので、この町で砂を買うことになり、運送会社の社長と一緒に砂屋に行ったところ、屋外にいろいろな砂が山積みになっているのですが、当然湿っているので舞台では使えません。商品の写真を見せたところ、パッケージのシベルコ(SIBELCO)というロゴを見て、この会社なら運送会社近くの駅の裏にあるから行こうと言うことになりました。行ってみると、確かにすぐ裏にこの会社がありました。野外にベルトコンベアーがあり、いつも使っている砂が山積みになっています。でも湿っていて使えないのですが、運送会社の社長は「中の方は大丈夫だろう」と言うのです。私が思うにここは製造工場で、販売店は別にあるのでしょう。乾いた砂を購入し、250kg積んできてくれと頼んで駅まで送ってもらいました。

蝉丸 徒然日記
8月30日昼、シャルル・ド・ゴール空港で、今回から山海塾エージェントとなったガエルと会い、フランクフルト空港へ向かいました。この空港で東京から来た竹内、市原、石井、岩本の4人のダンサーと照明スタッフの小泉、音響スタッフの相川と合流しました。ドイツのフランクフルト空港からは、2台の車に分乗して80km離れたルートヴィヒスハーフェンのホテルに向かいました。この町での公演は3回目ですが、プファルツバウ劇場(Pfalzbau)は2度目です。前回は2001年「UNETSU」公演でした。ポータルが前後に動く構造で、とても驚きました。今回は「UTSUSHI」公演で私が舞台仕込み図を作成したのですが、10日ほど前に「観客は劇場客席ではなくバックステージの特設観客席に座ります」と連絡してきたので、直前に図面を書き直しました。

前後に動くポータルは福島県いわき市の芸術文化交流館アリオス中劇場にもあります。松本市民芸術館の主ホールバックステージには電動で奥から前に引き出しのように迫り出してくる客席があり、前後逆にして小劇場として使えます。松本のスタッフがそうやって使おうとすると、袖幕や一文字幕など全部裏返して吊り変えるので大変だと言っていました。

8月31日、「UTSUSHI」の衣裳、舞台装置、化粧品が入った4個のスーツケースをタクシーに載せてガエルとメンバー二人が先に劇場に行き、他のメンバーは歩いて劇場に行きました。楽屋口に行くと正面から入れと言われ、正面玄関に行くと裏口から入れと言われ、劇場の回りを一周したらガエルが楽屋口で待っていてくれました。ダンスフェスティバルの最中なので、守衛さんは我々をチケットを買いに来た観客だと思ったようです。

9月1日、「UTSUSHI」公演は200人の観客を一旦ロビーにためて、開演5分前に劇場客席から舞台袖を通ってバックステージの特設観客席に誘導します。ダンサーと舞台袖で鉢合わせにならないよう、観客の移動が完了したことを確認してからダンサーが楽屋から舞台袖に移動し、開演を迎えました。年配の観客が多く、公演前後にレクチャーなどが行われるような雰囲気でした。舞台装置の仕掛けは観客に見られたくはないのですが、終演後一部の観客がなかなか客席から立ち去りません。客席と舞台が同じフロアーレベルですので、ある程度はしょうがないと観客と目を合わせないように撤去開始。物量が少ないので1時間ほどですべてを4個のスーツケースに収めて、劇場を後にしました。

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9月2日、フランクフルト空港でパリから来た演出の天児、関西国際空港から来たダンサーの岩下、舞台監督助手の小野と合流し、定刻より1時間遅れのフライトでイタリアのヴェニスの空港に到着しました。そこで羽田空港からミュンヘン経由で到着した舞台監督の中原と合流し、車2台に分乗して2時間半走り、午後10時、ロヴェレートのホテルに到着。
 ダンスフェスティバル「オリエント・オキシデント(Oriente Occidente)」は2度ほど参加したことがあるのですが、この町は初めてです。「MEGURI」公演を行うザンドナイ劇場(Zandonai)は伝統的な馬蹄形客席で、舞台床は傾斜しています。構造材に多くの木を使っていて音響に配慮したものと思われます。イタリアの劇場吊り物バトンの多くは1本のバトンを5本ほどのロープで簀の子から点吊し、滑車を通して舞台袖で5本ごと手引きする方法です。この劇場ではそれに加えて電動バトンと電動ホイストがありました。舞台美術のバックパネルは500kgあるので、平トラスを電動ホイストで吊り上げました。舞台袖の床は十分スペースがあるのですが、6m上に換気ダクトがあり、平トラスと30cmほどしか離れていません。演出上パネルを揺らすのですが、ぶつけないよう少しだけ動かしました。心配していた砂もいつものパッケージのものが運ばれていました。

9月4日夜8時半、「MEGURI」公演、客席はほぼ満席。無事公演を終え撤去開始後、深夜12時にホテルに戻ると、来年のアメリカツアーを組んでくれるプロデューサーたちがロビーで待っていてくれました。とても喜んでくれていて、来年に向け弾みが付きました。

9月5日、パリに寄らずに東京から来た6人は午前9時に、それ以外は早朝5時にホテルを出発し、ヴェニスの空港へ向かいました。関西空港は台風の影響で封鎖されているので、岩下、小野はここからどうなるか空港で待機です。石井はここからリトアニアのフェスに参加するので、別行動。パリの空港で天児、ガエルと別れて東京に向かいました。翌6日、成田到着後、山海塾事務所に寄り、預かってきた書類を置いて新幹線で帰宅。10日間という短いツアーは終了し、治りかけていた時差ボケでしたが、また日本時間に合わせなければなりません。


写真上)ドイツのプファルツバウ劇場
ドイツ南西の都市、ルートヴィヒスハーフェン(Ludwigshafen)にある、プファルツバウ劇場(Theater im Pfalzbau)。舞台から奥の特設観客席を見たところ。
9月1日、「UTSUSHI」公演。

写真下)イタリアのプザンドナイ劇場(Zandonai)
イタリア北部の街、ロヴェレート(Rovereto)にある、プザンドナイ劇場(Zandonai)。イタリアの典型的オペラ劇場。
9月4日、「MEGURI」公演。

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