ユーゴ・ラシャペル #26

住めば都
 
 黒部市にきてから、丸2年経ちました。皆さんにとてもお世話になってます。ありがとうございます。
 2年前、この『目からウロコ』のコーナーで書いた記事を読み返しました。タイトルは、日本の有名なことわざで、「郷に入っては郷に従え」です。記事を振り返ると、自分が成長したことを感じました。根本的な考えはほぼ変わらず、これからもできるだけ他の人に迷惑をかけずに生活していこうと思っています。ひとつ変わったことは、提案と議論についての考え方です。2年前は、提案することや議論することは迷惑だと思い、思ったことを言葉にしませんでした。でも、提案や議論することは迷惑ではないと気付きました。今では、思いついたことをできるだけ話すようにしています。
 今回、気になった日本のことわざについて書いてみたいと思います。「住めば都」ということわざです。私ができる英語とフランス語で探しても、日本語の「住めば都」に代わる言葉が思いつきません。辞書などで調べてみても、ことわざらしい翻訳は見つかりませんでした。ビックリです。
 以前、カナダについて紹介する際に、「カナダに住めばカナダ人になる」という言葉を使いました。カナダでは、どの出身者でもカナダに住めば、みんなカナダ人の扱いを受ける……という意味です。この「カナダに住めばカナダ人になる」という言葉は、「住めば都」の意味に近くないですか!? つまりカナダでは、ことわざにはなっていませんが、多くのカナダ人の行動はそれに相当すると思います。

■ 観光客扱いの危機
 日本に住めば、日本は都になるでしょうか? 2年間住みましたが、いろんなところやいろんな場面で、「住民」ではなく、「観光客」のように扱われました。観光客扱いというのは、「一定期間ここに来て、いろいろ見て、いろいろ学んで、必ず帰る」という印象を残す対応を言います。どういった対応でしょう? 今回、世界の「おもてなし」について簡単に紹介しながら、「観光客への対応」と「住民への対応」の違いを考えたいと思います。

■ 命令と誘導
 日本に住んでわかってきた日本のもてなしは、いろいろあります。人に何かをしてほしいときには、命令より誘う方が多いようです。例えば、「一緒に行こう」と誰かを誘うとしましょう。日本では、丁寧に「行きましょう!」と言います。命令に聞こえることをなるべく避けています。しかしポーランドでは、直接的に「一緒に行け!」と命令したほうがおもてなしです。英語圏は、根回し的な命令を使います。「Let's go」という表現は、「Let us go」に由来して、「行く許可を我々にくれ!」という意味です。フランス語圏は、「Allons-y」といい、自分を入れた団体に命令します。日本語に直訳すると「私たちが行け!」、つまり日本語の謙譲語の「参りましょう!」に近いです。目上の人に話すときは、自分を下に扱うのです。

■ 自慢と卑下
 相手と自分のことを指す言葉も、世界で違います。日本では、自分を卑下することが一般的なようです。謙譲語の「参りましょう」という表現はそのひとつでしょう。それから。元々男の召使いという意味であった「僕」という代名詞を使うこともそのひとつですよね。では、世界ではどうでしょう?
 スウェーデンでは、相手を自分のレベルに下げることが一般的です。スウェーデン王様まで、普通の友だちと同じように話をします。スウェーデン語には、日本語に当たる丁寧語や敬語がありません。そして英語圏は、いろんな文化があるので、統一した方法はありません。ですが、アメリカではスウェーデンと同じく、相手を自分のレベルに下げることが一般的です。
 卑下することに対して、相手を自分より上げることもあります。日本では「あなた」や「きみ」など、英語で言う「You」という言葉をあまり使ってないように感じます。できるだけ直接的ではなく、「お客様」や「部長」という肩書きやその人の名前で呼びかけるのをよく見かけます。そして、フランス語の正しい敬語も同じです。「Madame!(マダム)」「Monsieur!(ムッシュ)」という有名な呼び方は、「私のお姫様!」「私のご主人様!」にあたる表現です。自分を下げながら相手を上げるところは、日本とよく似ています。カナダとイギリスの一般的なやり方ですね。
 では、自分を上げる文化はあるでしょうか?……あります! アフリカ系アメリカ人の文化の決まりの一つです。自分のことを上げれば、相手のことも上げることになる……ということらしいです。つまり、自慢することがとても礼儀正しい行動のようです。日本の反対ですね!
 私の地元のカナダのケベック州は、アメリカに近いやり方です。相手が年上だと思ったら、フランス語の現代敬語にしています。現代のフランス語の敬語は、人を上げたり下げたりことではなく、なるべく距離を置く方法です。お互いに距離を置いて、お互いに敬語になります。でもひとりだけ現代敬語を使えば、どちらかが上か下になります。日本語の尊敬語や謙譲語と同じですね。

■ 対話の仕方
 もてなすには、相手とどうやって対話をするかということも大事でしょう。日本人は、あんまり対話していないような気がします。対話と会話は違います。言葉を交わすだけじゃなく、議論をすることです。日本ではどちらかと言うと、相手の話を聴くことを大事にしているようです。あまり日本語で対話をしたことがありませんが、何度か経験したことがあります。そのとき感じたのは、相手があまり対話を望んでいないことです。相手の言葉をただ聞いているように見えました。ユダヤ系人は、逆に対話がもてなしだと思っています。お客さんが来たら、お客さんと対話することが一般的です。ユダヤ系人がヨーロッパに散らばったので、対話することが西洋文明の特徴のひとつになりました。
 それに応じて、対話の結論の出し方も違います。現代ユダヤ系と西洋文明では、議論の結論を多数派で決めることが一般です。現代風の民主主義のポイントですね。ただし、他人に結論を任す文化も少なくありません。王様が支配するアフリカのスワジランドはそのひとつでしょう。そして逆に、全員が同じ結論にならなければいけない文化もあります。アフリカのいくつかの文化では、議論を何日間もぶつけ合って、全員が同意するまで決定になりません。

■ もてなすって、本当にもてなす?
 もてなす方法は複雑でしょう? 正しい礼儀は、国によって違います。でも、世界共通もあると思います。他人を下げることがありますが、もてなしたいときには自分より絶対に下げません。そして、対話するときには、相手の意見を尊重しながら対話します。
 これまでいろいろな世界のもてなし方を書きました。もてなすという行為は、お客さんに対する、特別な行為だと思います。しかし逆に、ずっともてなしをされたら、ずっとお客さんとして扱われるということです。「おもてなし」は、とても素敵な行為ですが、場合によっては「仲間外れ」にされているような印象も受けます。例えば、仲良くなりたいのに、ずっと尊敬語で話されたら、寂しいですよね。いつも「ご主人様」と言われたら、友だちになりにくいですよね。過度なもてなしは、親密な関係を作るには妨げになることもあります。

■ 日本は「住めば都」の国?
 黒部市に住んでから2年が経ちましたが、まだ観光客として扱われることが多くあります。でも私の場合はそういうところへは行かず、仲間として扱ってくれる場所へ行くようにしています。心地が良いからです。
 もてなし方も、その相手によって変わりますよね。「お客さんへのもてなし方」と「友だちへのもてなし方」、「観光客へのもてなし方」と「住民へのもてなし方」は、それぞれ違いますよね。今、日本に住む外国人がたくさんいます。外見が外国人に見えるハーフの日本人などもたくさんいます。外国人=観光客とは限りません。まずその人が観光客か住民かを確認した上でもてなすことも、「おもてなしの心」のひとつかもしれませんね。外国人にとって、「住めば都」となる要素のひとつだと思います。

(2014年10月 COLARE TIMES 掲載)



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