ユーゴ・ラシャペル #17

マディバ、マディバ!(Madiba, Madiba!)
 
 皆様、明けましておめでとうございます(この原稿を書いている現在は、まだ2013年12月中旬ですが……)。富山の冬は寒くなってきましたが、ご健康でいらっしゃいますか。
 2013年12月5日、20世紀を代表する偉人、ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ氏が亡くなりました。「マディバ」というのは、マンデラ氏の家の呼称で、あだ名としてよく使われたそうです。世界中で有名な人ですが、マンデラ氏の一番の偉業は、南アフリカでの人種差別政策「アパルトヘイト」を廃止させたことです。つまり、廃止させる前までは、南アフリカで国の政策として人種差別があったわけです。私にとっては、恐ろしいことです。

■ カナダでの人種差別
 カナダでも昔、人種差別がありました。国内では、先住民系と古フランス語系(私はその一人)の人に対しての差別は結構ありました。移民に対しても、戦後までは差別がありました。「白人」じゃない人の移民はほとんど禁止され、「黄人(華韓日系人を指す)」の場合、入国金が必要でした。
 1950年代には完全に廃止され、1970年代からはどの人種差別も犯罪としてみなされるようになりました。私は差別が禁止された環境で生まれ育てられたので、差別を明らかに目撃したことはありませんでした。そして、カナダの大多数の「白人」である私は、されたこともありませんでした。

■ 日本では……
 この「目からウロコ」の2013年4月号で、「ハロー」と挨拶されることは不愉快だと述べました。実際、周りの外国人に聞いてみたら、ほとんどみんな不快に感じるそうです。外国人の顔をしている人に英語で挨拶するということ自体が「差別」なのです。ですが、日本人は特に意識していなかったり、逆に親切だと思っているところがあるので、今のところは許せますし、理由を説明できます。しかし、ここ最近、明らかな人種差別をいくつも目撃しました。私に対しても、他人に対しても。私に対しての差別はあまり気を遣いませんが、それでも、されるたびに嫌な気分になります。私の周りにはいい友だちもいますから、そのことについて話し合ったりして乗り越えることができました。
 でも一件だけ、どうしても許せないことがありました。子ども同士の人種差別です。詳しい内容は言いませんが、私はかなり憤慨しました。子どもは自然に区別できますが、自然に差別しません。誰かに教わったということです。そして一件あるということは、他にも多くあると思えます。それを目撃した時、私は差別した子に注意しましたが、いつもそういうわけにはいきません。私は日本に来た当初から、「このまま日本に残って、ここで子どもができて学校に通わせたらどうなるだろう」と考えてきました。でも差別は、私の子どもには絶対に経験させたくないことですね。
 日本に住んでいる、外国人の先祖がいる人はどうでしょう。カナダから来た友だち(写真参照)が、日本生まれ日本育ちのドイツ系日本人と話をする機会があったそうで、その人の経験を教えてくれました。ドイツ人の顔をした日本人の彼は、こう語ったそうです。「子どものころから、みんなに英語で挨拶されて、もう聞き飽きました。生活が困難でした。結局、ドイツに行ってドイツ語を研究してきました」と。現在、その人は、日本にある大学のドイツ語の教師です。日系日本人との関係は、まだなかなかうまくいかないようです。うまくいく日本人もいますが、それはエスペラント語ができる日本人だそうです。エスペラント語を話す人たちは世界を意識している人たちですし、日本語ができて日本に住んでいる人のことを人種を問わず「日本人」と呼ぶ人たちです。だから、そこはその人の「我が家」になったそうです。私もそうでした。私を初めて「日本住民」として認めてくれた人は、エスペラント語のできる日本人でした。世の中には、日本人と呼べばいいのにと思う人もいっぱいです。
 もし私の子どもが日本でできたら、どうなるのでしょうか。そんな話を聞いたら、悲しくなりました。

■ 国際化・多文化共生
 12月10日、「日本語教室 in 黒部」で富山県庁から講師が来られて、「多文化共生について」の出前講座がありました。内容は国際化に向けての最初の一歩のような気がしましたが、今後の多文化共生に関する課題を皆さんに紹介します。5つあります。

(1)日本語能力が不自由。つまり、日本語教育が足りないということですね。
(2)子どもの教育が心配。日本語の支援、差別、家庭の文化が認められるかなどの不安点。
(3)地域の活動への参加が難しい。これは、日本語能力の不自由によって生じる問題です。
(4)防災の知識や訓練の不足などによる、災害の心配。

 以上の4つは、実感ですね。(1)の場合は、他の外国から来た人たちの様子を見るとよくわかりました。そして5つ目は……。

(5)日本人の多文化共生意識が不十分。
 
 つまり、日本以外のことについての知識や周りにいる人のことについての意識が足りないということです。私もものすごく実感です。仕事でいろいろ回りますが、やっぱり意識はなかなか難しいです。先に述べた人種差別はそのためでしょう。外国から来た人の生活は、すべて楽しいことだけではありません。そして「外国」ということは、ただ「国の外」だけではありません。日本の外は、複雑です。日本人がなかなか想像できないぐらい複雑かもしれません。そして、日本にやってくる人も、同じように複雑で多様です。
 たとえば、黒部市に住んでいる外国国籍者は281人いて、多いのは中国と韓国とフィリピンだとご存知でしたか? 英語圏の人はほとんどいなくて、カナダ国籍は私一人だけです(そして私は、英語じゃなく、フランス語圏ですね!)。黒部市に住む外国人のことは、その出前講座で知ったことのひとつです。他にもいろいろ面白い話があり、参加していた日本人は驚きました。
 私も皆さんに今後、意識できる機会を作りたいと思います。この「目からウロコ」も、そのひとつです。日本人の多文化共生意識の「不十分」を「十分」に変えてみたいですね。みんながそれぞれ少し違っても(多文化)、一緒に(共)生活できるように(生)。

 私とカナダからの友だちです。出身は三人とも異なります。私(中)はカナダ出身、女性(右)はウクライナ出身、男性(左)はアメリカ出身。後ろには高岡大仏です。3人で楽しい4日間を過ごしました。二人とも、エスペラント語で2ヶ月間、日本を回ったそうです。年末年始はカナダに帰るので、絶対に彼らに会いに行きます!
 12月10日コラーレで、国際交流ワークショップの「クリスマス・パーティー」がありました。音楽を聴きながら、ピザや手巻き寿司をおいしく食べて、とても楽しかったです。
 12月17日、子どもたちと「クリスマス・パーティー」をしました。今年最後のコラーレでのイベントです。参加者たちと一緒にクリスマス・ツリーの飾りを作って、お菓子を食べました。この後、私がサンタクロースの格好をして登場したら、参加者のお母さんたちに写真を何枚も撮られました。

(2014年01月 COLARE TIMES 掲載)



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