Vol.36

2005年春 リヨン・メゾン・ドラ・ダンス


 パリの倉庫でトラックの荷物を積み替えて、4月5日、TGV でリヨンに向かいました。リヨン駅でエージェントのピエールと落ち合い、ホテルで先乗りしていたスタッフと会いました。
「リヨン・メゾン・ドラ・ダンス」とは「ダンスの館」といった意味です。もう何度もそこの主催で公演に来ているのですが、今の劇場が新しく出来てから10年ぐらいです。それを記念していろいろなダンス関連のイベントを盛んに行っています。今回の山海塾は4月8〜10日「かげみ」、12〜15日「ひびき」公演です。チケットはすでに完売しているので、町でポスターなどは見かけません。
 11日の仕込み替えに合わせて、音響の相川が帰国し、代わりに宮崎が来ました。劇場側のスタッフは全員入れ替わりました。フランスの劇場スタッフの労働時間に関する法律が段々厳しくなっているようです。過剰労働を防ぐと言うよりは仕事をみんなでシェアしようという考えのようです。
 劇場の近くにホテルがないので、市中心部のホテルから地下鉄と路面電車を乗り継いで毎日通いました。路面電車は途中で行き先が枝分かれしているので気を付けなければいけません。ある日、劇場の搬入口に日本人の女の子が座っていました。大学を卒業したばかりで、山海塾の仕事をしたいと思って、はるばる日本から見に来たそうです。でも山海塾のダンサーは男と決まっているし、事務仕事も普段はそんなにありません。日本公演の時に臨時に事務関係のアルバイトが必要になることがあるから、履歴書を山海塾にメールしておくと良いかもしれないと無責任なことを言って別れました。この子とは後日富山で再会することになります。
 4月16日、バスで次の公演地スイスのニュシャテルに向かいました。照明の吉本はリヨンで別れてパリに向かい、日本の劇団のパリ公演の仕事をします。ニュシャテルでは日本から照明の岩村がチューリッヒ経由で先に着いて待っているはずです。


(2006年05月 COLARE TIMES 掲載)




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