Vol.33

2004年 日本公演


 今年は日本国内での山海塾公演が2カ所ありました。神奈川の茅ヶ崎と福岡の北九州です。両方とも公演前に踊りのワークショップを望んできましたが、山海塾としてのワークショップは行っていません。事前にワークショップを行い観客動員を謀ろうという魂胆でしょうが、そのためにダンサーを招集するのはかなり大変なことです。
 蝉丸が毎夏ワークショップをしていることが知られているようで、それでもいいというので受けることにしました。しかしいつもやっている合宿ではなく、通いのため時間が限られています。同じ参加者を対象に3日間連続して行うこととし、主催者の都合の良い時間帯で行うことにしました。茅ヶ崎は8月6日から8日までで合計8時間、北九州は11月25日から27日までで11時間です。この時間内に何が出来るか考えなければなりません。
 参加者の口コミで本公演の時の観客数を増やすという謀り事の為には印象を良くしなければいけません。そして私自身が面白いと感じられなければフラストレーションが溜まります。
 毎夏の合宿では最後にコラーレで発表会を行います。参加者ははっきりした目標が出来るので励みになり、良い思い出にもなります。このワークショップでも最後にグループ分けをして短いエチュードの発表会をすることにしました。この試みは大変評判が良く、私自身も納得のいくワークショップとなりました。
 ところでこの夏、山海塾のスタッフに大きな変更があり、今まで舞台監督が書いていた舞台仕込図と作業スケジュールは私が書くことになりました。もともとのオリジナル図面は私が書いているのですが、個別の劇場に対する仕込図となると、それぞれの劇場に合わせて幕類や照明バトンの位置を決めなければいけません。
 日本の多くの劇場は多目的ホールとして作られており、山海塾の舞台を仕込もうとすると、天井反響板や照明ブリッジなどが邪魔します。アッパーホリゾントライトも定位置が決まっています。袖幕の吊り替えさえ出来ない劇場があります。本来それらは早く、簡単に仕込むという点で優れているのですが、山海塾の新作はパリ市立劇場で時間を掛けて作られるため、初演は望むがまま、邪魔な物はすべて取り去り、バトンそのものの吊り位置さえ変えることがあります。しかしそうやって創った物を日本の劇場で仕込もうとすると、なかなか大変です。曲吊りや桁吊り、仮設綱元など、現地スタッフが「何のためにそこまでするの?」と疑問に思うことがいっぱい出てきます。微妙なところは図面では判らないので、劇場に下見に行きます。その結果、図面を書き直すこともよくあります。今回はそれぞれの会館の中でワークショップを行ったので、私が直接下見と打ち合わせが出来、疑問点は翌日もう一度打ち合わせが出来るという好条件となりました。もっとも劇場の技術さんはちょっとやりにくかったと思います。ワークショップ講師の蝉丸として紹介されるので、技術屋同士の打ち合わせという感じにはなりにくいのです。出演者がこういう事がしたいと言うことに対して、技術屋はなかなかいやだとは言えないものです。しかし大変だったのはデジタルデータで図面のやりとりをすることです。茅ヶ崎はPDFファイルだったのでイラストレーターというグラフィックスソフトを使い、北九州はベクターワークスというキャドソフトを使いました。完成すると他のスタッフとのやりとりや、修正が簡単に出来るので便利なのですが、使えるようになるまでが大変でした。
 9月26日、茅ヶ崎市民文化会館「うねつ」上演。観客800人。翌日舞台装置を富山の倉庫に収めるため、撤去後ハイエースを運転して富山に向かったのですが、運転できるのが私だけだったので、途中仮眠を取りながら徹夜で帰りました。
 12月25・26日、北九州芸術劇場「ひびき」上演。観客700人。舞台装置は次の公演地、台湾に送るためパッキングシールを貼って門司港に運びました。この日起きたスマトラ沖大地震を知ったのは翌朝でした。

(2005年07月 COLARE TIMES 掲載)




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