Vol.23

2003年春 草を刈りに一時帰国


 パリで新作を発表した後に一週間の休みがありました。
 航空券の値段は渡航期間が3ヶ月以内か以上かで大きく変わります。今回は3ヶ月を越えているので2往復分の航空券を買って1往復分は使わない方針としました。その方がかなり安いのです。帰国を希望する人はもちろん一時帰国してもかまいません。
 2月末から2ヶ月以上家族と会っていないので、かなりハードですが帰国することにし、5月6日、群馬の家に帰りました。7日に富山の家に帰り、冬支度のままだった我が家の片付けと草刈りをして、8日の夜、再び群馬に帰り、9日は長女の学校の家庭訪問でした。10日に東京の事務所へ行き、打ち合わせと4月分の源泉徴収税の納付、11日は長女のピアノ発表会。そして12日には日本を発ちました。実質5日間でものすごく中身の濃い日々を過ごし、疲れよりも充実感を感じて飛行機の中では眠り続けました。
 13日はパリのホテルから大型バスでタルブという町に行き「かげみ」公演です。何度も行ったことのある「LE PARVIS」という劇場ですが、高さが低いので舞台美術の仕込みが大変です。5月16日に上演し、翌日バスでサンメダールアンジャレというボルドーの近くの町に移動しました。ここの劇場も良く知っているのですが、今回は2作品上演します。5月20日「かげみ」公演。21日は仕込み替えなのですが、しばらく「かげみ」がないのでダンサーの岩下は別行動をとります。22日「ひよめき」公演。次の公演地は今回の目玉ともいえるクロアチアのザグレブです。
 24日、飛行機でパリに移動し、個人的な都合で照明の吉本はミュンヘンへ、代わりに日本から来た岩村とパリの空港で落ち合い、ザグレブへ向かいました。クロアチアでの公演は初めてです。20年以上も前にユーゴスラビアのベオグラードで公演したのですが、内戦後独立したわけだから、その話はしない方がいいかなと思いました。その当時は私が舞台装置を積んだ車を運転してパリから片道4000キロを往復しました。チトー大統領はすでに死んでいましたが、自主管理という経済体制で、東側とは思えない自由な雰囲気でした。そのとき日本語の通訳として来たのはゾルゲの息子の山崎さんでした。クロアチアと言うのは何語かわかりませんが、現地では自国のことを「Hrvatska(フルバツカ)」と呼ぶようです。通貨はビーバーのような動物の呼び名を使って「クーナ」と言います。1ユーロは7クーナ58リッパーでした。
 劇場は「CROATIAN NATIONAL THEATER」ですが、古いタイプのオペラ劇場で、腕に自信のある頑固親父が何人もいるという感じです。外壁には銃弾の痕が無数にありました。東ヨーロッパというと遅れているようなイメージを持っていたのですが、文化的にはハンガリーやトルコの時代の遺産を受け継いでいるようで、文化水準は高い感じがします。ナポレオン時代にフランス領だったこともあるようです。劇場の機材はODAの援助で新しい物がそろっているようです。音響機材に貼ってあるシールに大きく「JAPAN」と書いてあり、「Official Development Assistance」とあるのですが、それがあっちこっちに沢山貼ってあるので少し恥ずかしくなりました。
 5月27〜28日「ひびき」公演。余った現地通貨を両替しようと銀行に行ったら、クーナから外貨に両替できるのはクロアチア人だけだと言われて、「えっ!」という顔をしたら市中の両替商を紹介され、そこで簡単に両替できました。空港でも両替可能です。5月29日、飛行機でアムステルダムに行き、オランダのデンハーグという町に移動しました。
(2004年06月 COLARE TIMES 掲載)



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