Vol.22

2003年山海塾パリ新作


 2002年12月9日、スウェーデンから帰国して、会社の決算や宇都宮倉庫の物品を富山に移動したり、私のソロ公演をフリースペースで行ったりして過ごし、いよいよ2003年2月10日から琵琶湖ホールで新作の稽古に入りました。
 リハーサルルームは幅18メートル、奥行き18メートル、高さ7メートルのフリースペース、吊り物バトンや照明設備があります。私は舞台美術の道具を積んで車で乗り込みました。他のダンサーは新幹線で来たのでホールで合流し、そのまま舞台美術の仕込みに入りました。宿泊は近くのホテル、食事は外食です。途中3日間の休みを取り、2週間の稽古です。びわ湖ホールもホテルも琵琶湖のほとりにあり、とても眺めが良くゆったりした気持ちで過ごすことが出来たのですが、余りのんびりしてもいけないので、毎日琵琶湖のほとりをジョギングしてから稽古場に入りました。
 2月23日に稽古を打ちきり、その日のうちに帰宅、翌日他の舞台美術も積み込んで、パリに送るため船橋の運送会社に運びました。一日中雪が降っていて首都高速は大渋滞、これからの苦難の道を物語っているようでした。
 2月28日、日本出発。3月1日、パリで稽古開始。これまではアンジェの稽古場で新作の稽古をしていたのですが、そこのディレクターが変わり今回は使えません。パリのバンセンヌの森の中、カルトシュリーというところにあるアトリエドパリという稽古場を3月31日まで1ヶ月借りました。ここのアートディレクターはダンスのカロリンカルソンです。カルトシュリーは昔の弾薬庫跡だそうで、その建物を修復して沢山の劇場があります。日本でも有名な太陽劇団もここにあります。宿泊はやはりホテルですがキッチン付きです。
 稽古は順調に進み、日本で制作していた舞台装置や衣裳も3月20日に空輸しました。今回はイラクで戦争が始まる危険があったので、フランスでも手に入る物や予備の物品は船荷、絶対必要な物は空輸にしました。3月末には船荷もエアーカーゴもパリの劇場に入る予定だったのですが、思わぬ迷走が始まりました。すでに戦争は始まっています。船は戦争が始まる前にスエズ運河を通過したことはわかっています。24日、パリの税関に着いた航空便は原産地証明が必要だとのこと。しかしすべて2次加工品で今更原産地証明は取れません。日本語でオリジナルは日本だという意味の書類を作り、原産地証明だと言って渡しました。なぜかすんなり通関して4月4日に劇場に着きました。問題はルアーブルに入った船から荷物が降ろされず、ロッテルダムに向かった事でした。ロッテルダムで降ろして陸路パリへ運ぶか、シェルブールに戻ったところで荷降ろしするか。いずれにしろ間に合わない可能性が大きいのでパリで制作発注の段取りをとったのですが、予想以上に期間が必要とのことで、何が何でもシェルブールで荷降ろしさせなくては間に合わなくなってしまいました。
 ようやく4月11日に劇場に到着し、翌12日から仕込みが始まりました。日本人スタッフも全員パリに揃っています。4月22日から26日まで、新作「うつり」を5公演して30日から5月4日まで前作「かげみ」を4公演しました。チケットはすべて完売で9000人の観客動員です。翌日の5月5日にパリを発ち、6日に日本に到着しました。6日間、日本に滞在できます。
(2004年04月 COLARE TIMES 掲載)



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