Vol.20

お盆、合宿、イタリア、そして筑波。


 ウイーンから8月13日に帰国し、風で体調の悪い妻を残して、娘と二人、富山にお盆の帰省をしました。普段暮らしている群馬から見れば、山や海がすぐそばに有る朝日町の家は、幼い娘にとって母親から離れてでも行きたい所だったようです。母親抜きの旅は父親にとってもどきどきする楽しいものです。夜中に咳が止まらなくて困ったりしましたが何とか無事に済みました。
 8月20日に山海塾の事務所を引っ越しました。ビルの建て替えに伴い、10年間過ごした所から100メートルほど離れた新事務所に引っ越しです。借家住まいですが、今度の事務所はエレベーターが付いていて、事務所っぽくなりました。住所は東京都港区南青山。表参道の駅から歩いて1分ぐらいの所にあり、バブルの頃は土地の値段が一坪4,000万円しました。今は400万円です。朝日町の私のアトリエは2万円です。
 8月21日からは妻も一緒に富山に来て、合宿とコラーレ公演の準備です。22日には利賀村に来ていた照明の岩村とコラーレのカーターホールで照明実験し、イタリア公演の対策を立てました。24日から入善のあぐり館で合宿形態のダンスワークショップを始めたのですが、今回は海外からの参加者が多く、インターネットでの情報の強さを思い知りました。ウィーン、バルセロナ、インドネシアの人はたどり着きましたが、ニューヨーク、オーストラリアの人は遂に到着しませんでした。アナログ的に入善のあぐり館まで来るのはちょっと無理だったようです。「今、岐阜まで来ています」と電話をくれたのですが、ちゃんと帰国したかな〜。
 8月31日、研修生、山海塾の若手、私の娘、白兎達とコラーレの池で公演しました。開演直前に舞台を見に行くと、客入れ直前まで必死になって仕込んでいたローソクに火が着いていません。どうやら私が火を着ける担当者を指定しなっかったのが悪かったようです。開演の導入としてはとてもいい演出だったのですが残念です。そのローソクが池の中を自動的に動いて遠のいて行くのがきっかけで、滝沢さんの演奏が始まる段取りだったのに……。それ以外は想定通り進行し、評判も良かったようです。翌日片付けて18羽の白兎と共に群馬の家に戻ったのは夜9時でした。10日以上留守にしていたので、まずみんなが寝られるように家の点検をし、それからイタリアへ行く準備です。翌朝5時の電車に乗らないと飛行機に間に合いません。それでも4時間ほど寝て出発しました。
 イタリア公演は山海塾の新作「かげみ」です。舞台監督と音響スタッフが東京国際芸術祭の仕事と重なったために、いつもとは別のスタッフ構成で臨みます。「ORIENTE OCCIDENTE」というダンスフェスティバルで、北イタリアのトレントという町の劇場で上演するのですが、近くに空港が無く、行きはベローナ、帰りはミラノの空港を使いバス移動しました。日本の高速道路のETCと同じ様なシステムがありました。イタリアは古い劇場が多く、吊り物のシステムも昔ながらの木のバトンを6本のロープと滑車を使って吊り上げるところがほとんどです。しかしこの劇場は電動バトンになっていて助かりました。予定より早く仕込みが進み、観光も出来ましたが、時差がかなり辛い公演でした。9月6〜7日公演し、翌日帰国しました。
 9月17日、若手ダンサー3人と朝日町に来て、筑波公演の舞台装置の準備をしました。8月の合宿、公演後すぐ移動したのでその時の後始末も残っています。18日、関係者を呼んでバーベキューパーティー。19日、舞台装置の積み込み、移動。20日、筑波カピオホール仕込み、21日、「うねつ」公演、ばらし、朝日へ移動。22日、舞台装置を倉庫に格納、帰宅。関東での公演はとても簡単です。
 ところで「うねつ」では毎回30センチほどの石膏の卵を、舞台上で割るシーンがあるのですが、もう在庫が無くなってしまったので、イタリアから帰国後作り始めました。20キロの石膏の袋を開けると使い切らないとだめになってしまうので、季候のいい夏場にまとめて作ります。1個作るのに3時間かかるのですが、型に石膏を流し込み回転させた後、硬化を待って同じ事を3回繰り返します。たぶん踊りの稽古をしているように見えるでしょう。一袋から56個作りました。これで当分心配いりません。

(2003年01月 COLARE TIMES 掲載)



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