Vol.17

「三人姉妹」リヨンオペラ座で再演


 リヨンオペラ座は石で作られた外壁だけを残して中をくり抜き、地下5階、地上10階の黒い鉄の箱を入れ込み、客席部分は宙吊り構造というかなりモダンな感じの劇場です。4年前の初演の時は妻と娘を同伴し、2ヶ月間、キッチン付きのホテルから通勤していました。その懐かしい劇場で再演するのですが、今回は1ヶ月間の拘束です。パリのシャトレ座、ブリュッセルのモネ劇場と再演して、不思議に思っていたことが幾つか有ったのですが、同じ場所で再演してみてようやく納得がいくことも有りました。
 今回は出演者が4人入れ替わります。3人の黒子のうち、1人は4年前にオーディションで採用した男の子です。3月25日から稽古を始めて、舞台の設営は28・29日の2日間で終わらせました。自分たちの劇場なので要領よく進み、他の劇場の半分の時間で終わりました。後は4月18日の初日まで毎日舞台稽古です。いくら自分たちの企画だからといって国立のオペラ劇場の本舞台を3週間も稽古に使っていいものでしょうか? 劇場のスタッフは毎日劇場に仕事に来るので、私たちも付き合って仕事をします。出演者達もだんだん緊張が無くなり、舞台袖で本を読んだり、ふざけ合ったりし始めました。しかし彼らは音楽には強く反応します。本を読んでいた歌手、廊下でふざけていた歌手が突然駆けだして舞台に飛び乗ります。彼らの出番ではないので私は舞台袖で呆気にとられていました。このオペラは同じフレーズが何度もでてくるので、幾つかの場面を抜き出して稽古すると勘違いしてしまうようです。しかし緊張がとぎれないのは2人の若い指揮者です。後のオーケストラを指揮するジョナサンは4年前にピーターエートボッシュのアシスタントとして来ていたドイツ系の人です。前のオーケストラを指揮するクアメイという人は黒人です。私は黒人のオーケストラ指揮者は始めてみました。今回ピーターエートボッシュは指揮をせず、初日に見に来るそうです。十分稽古をしてようやくジェネラルリハーサルを迎えたのですが、朝のチェックの時に吊り物バトンが動きません。どうやらコンピュータトラブルで半分のバトンが動かなくなっていました。急遽仮設のウインチを使ってバトンごと動かすことにしました。そしてこのウインチは大変素晴らしいもので、すべてコンピュータ制御できます。リハーサルとはいえ200人ほどの観客とマスコミが来ていますので、すべて本番通りです。無事に切り抜けて翌日もとに復帰しました。18日の初日を見届けて次の公演地ウイーンでの再開を約束し、翌日帰国しました。
 1ヶ月後の5月17日、ウイーンに向かったのですが、最初の羽田で躓きました。エンジントラブルで予定の飛行機は1時間遅れるというのです。関西空港でウイーン行きの飛行機に乗り換える予定がこれでは間に合いません。チケットを見せて掛け合うと、羽田―関西空港―イギリスのヒースロー空港―ウイーンという便を用意してくれました。関空からはエコノミークラスが満席だったらしく、2階にあるビジネスクラスでゆったり眠ることが出来ました。ところがヒースローが異様な雰囲気なのです。理由は判らないのですが多くの飛行機が大幅に遅れていて、みんな諦め顔で座り込んでいます。私も6時間待たされました。ウイーンのホテルには深夜4時に着き、顛末を事務所にメールしてからベッドに入りました。3時間後には劇場で仕込み開始です。今回は黒子も舞台監督もリヨンから同じ人が来るし、歌手の入れ替わりも有りませんので、5日間で準備です。舞台も狭く、かなり工夫しなくてはならないので、最初のアレンジに失敗すると取り返しがつきません。幕や照明の位置を仕込みの最中に的確に変えさせなければなりません。技術スタッフに図面と違うことをその場で指示するのはかなり大変なことなのですが、そこで躊躇すると大きな後悔をすることになります。なだめたりすかしたりして指示します。何しろ私はこの仕事においては演出家でも振付師でもないジェネラルアシスタントという奇妙な存在なのです。反抗されると手の打ちようのない弱い立場なので気に入られることが絶対条件です。ここでは歌手より先にオーケストラの稽古が始まりました。オーケストラの人たちは賃金の安いハンガリーから大型バスで通っているという噂が有るのですが、後のオーケストラを指揮するラスロティヤニーはハンガリー人のようです。前のオーケストラを指揮するピーターエートボッシュはブダペストの出身なので母語はハンガリー語です。ある時、稽古中にピーターエートボッシュがしゃべっていたら楽団員に大受けしていたのですが、ウイーンのスタッフは何の反応もしなかったので噂は本当のようです。さて音楽ですが、ここで聞く音はこれまでの3劇場とはかなり違う印象です。ピーターエートボッシュはブリュッセルでも前のオーケストラを指揮しましたが、その時ともかなり違います。この違いは楽団員の資質から来るものと思われます。音楽のことはよく判らない私ですが、どうやら門前の小僧になったようです。5月25日に初日を迎え、翌日帰国の途につきました。
(2002年08月 COLARE TIMES 掲載)



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