Vol.06


塞翁が馬

 2ヶ月のツアーも終わり今帰国の飛行機に乗っています。最後の1週間は長い日々となりました。ボゴタからパリに戻り日本からの船荷の確認をすると税関からの連絡は入っていないと言います。倉庫に直接輸送されたかもしれないがフランスは3連休で確認しようがない。アムステルダムに行く前日の休日明けに確認することになりました。休日2日目の夜中に悪い夢で目を覚ましボーとしていると不意に「関税を払っていないのにフランス国内に入れ込めるわけがない!」と気が付きました。願わくばルアーブル港に到着していて欲しいと思いましたが、荷物の中にはアムス公演のひびきの舞台衣裳が入っています。すぐ日本の事務所に電話をして追跡調査を依頼しました。今日はメーデーですが日本は動いています。2時間後フランスの早朝7時に返答が来ました。なんと船は未だ洋上で次の寄港地はロッテルダムで5月18日とのこと。とんだ手違いが起きたものです。別 の作品での公演を考えましたがエージェントと相談したところ「契約上それは考えられない。他の衣裳を使ってでもひびきを上演しなければならない」ということで出来るだけ同じような衣裳を揃えることになりました。しかし日本はゴールデンウィークで航空便も止まっています。出来る限りの素材と他の舞台衣裳すべてを持ってアムスに行き自分たちでこっそり衣裳作りをしました。初日までにすべてのシーンの衣裳が揃い満席の国立オペラ劇場での公演です。カタログには初演時の写 真が掲載されています。フィナーレで観客が総立ちになり拍手してくれました。その後のレセプションでロンドンから来ていたサドラーズ劇場のディレクターが来年の3月にロンドンで会いましょうと言ってくれました。契約成立です。窮地を脱して心地よい疲労が全身を包みました。翌朝公演の成功を日本の事務所にメールしたところイスラエルがベイルートを爆撃しているという情報が入りました。もともとの予定では明日ベイルートに行くことになっていたのですが3月のイスラエルでの仕事がばれてキャンセルになったのです。


夏はバカンス

 いろいろな事件が起きた春のツアーも終わり1ヶ月近く日本に滞在したのち夏のツアーに出発しました。夏の地中海沿岸はフェスティバルがめじろおしです。しかも野外が多いので劇場公演と比べると仕込みに2倍ほどの時間を要します。早朝と夜仕事をして昼はシエスタと呼ぶ昼寝をします。今回は3週間で南仏のモンペリエとイタリアのベニスの2カ所だけですので家族を連れて行くことにしました。私は国際的旅芸人ですが日本の旅芸人と違うところは通 常単身赴任ということです。妻と5歳の娘を連れて異国へ仕事に行くというのはなかなかな大旅行です。6月11日に日本を発ちパリで準備をした後15日にモンペリエに入りました。この時期フランスでは音楽の日というのがあり誰がどこで音楽を演奏しても誰もそれに対して文句を言ってはいけないということになっています。町中音だらけで劇場ではそれなりのコンサートを無料で上演しているし広場では音の大きな方が勝ちといった具合です。山海塾はその間隙を縫って20日にウルスリンヌという野外劇場でひよめき、23日にオペラハウスでひびきを上演し、24日にパリ経由でベニスに向かいました。ベニスは小さな島々で構成される水上都市ですが空港からはタクシーと書いたボートでホテルに向かい、野外劇場のあるサンジョルジョへはバスと呼ぶ路線ボートで向かいました。我々の舞台装置もトラックからだるま船に積み換えて運ばれて来ました。野外の仕込みは雨、風、直射日光に加えて夜露との戦いです。ペニスではうねつという作品を上演したのですが舞台上には天井がありません。6メーター上空から砂と水を1時間半にわたって降らし続けなければならないのですがこれが大仕事です。28〜29日の本番中は雨も降らず最高のコンディションで上演できました。娘はベネチアグラスの金魚と猫の仮面 を買ってご機嫌です。しかし同じような品物がある中でよくシンプルなくせに一番高い物を選ぶものだと感心しました。30日はパリで一泊し2000年前半3ヶ月の山海塾ツアーが終わりました。

(2000年11月 COLARE TIMES 掲載)



「COLARE TIMES 編集室」へ ― 「ラレコ山への道」トップページへ ― ホームへ