Vol.04

どんでん返し

 無事ビザやパスポートの準備が出来たので久しぶりにゆったりした気分でルマンに向かいました。ルマンは24時間耐久レースで日本でも有名なところですが、郷土料理としてクレープも有名なところです。日が暮れてから10人ほどでオールドタウンのクレープ屋に行き食事をしました。クレープというと甘いという印象があるのですがまずはチーズやキノコ、ハムなどが入った、栄養満点のものを食べてみましたがとてもおいしいです。普通 はそのあとで甘いクレープをデザートに食べるようですが甘いのは苦手なのでパスしました。味もさることながら作っているところが見えるのですが、まさに職人芸です。私もそのうち作ってみよう。ところで公演は「しじま」という作品で劇場が狭いので変形舞台になりましたが問題もなく終え、アンジェに向かいました。この町は馴染みの深い町で国立舞踊学校があり、最近の山海塾の作品はこの学校に缶 詰になって作り上げています。公演はオペラハウスで行い宿泊はいつものレジデンスの部屋になりました。普通 のアパートで暮らすのと同様で洗濯したり料理を作ったりサロンでみんなで酒を飲んだりの生活です。劇場はイタリアスタイルのオペラハウスなのでとても美しいのですが、我々にとってはかなり狭く、やはりしじま公演だったのですがかなり変形舞台となり、距離感や歩数にかなり違和感がありました。4回公演だったので2回目からは慣れましたが。さてそのような準備のさなか開演1時間前に一足先にパリに帰ったエージェントから楽屋に電話があり、ウオーミングアップ中に呼び出されました。この時間帯に呼び出すのは非常識ですのでまた問題が起きたなと思いながら電話に出ると、まさに大問題です。ベイルートから連絡があり我々の公演の主催者が警察の取り調べを受け山海塾公演の中止を言い渡されたそうです。警察はパリとの電話、メールの遣り取りをすべて傍受しており、テルアビブ公演、その後の舞台監督のベイルート入りを正確に把握していたそうです。我々の苦労は何だったのでしょう。うまく行けば親善大使のような役割を果 たすという思いも夢と消えました。とにかく公演が終わるまでは誰にも話さないことにしました。


ブラジル

 4月7日、4日間の公演を無事終えた翌朝4時、バスでアンジェからパリの空港に向かいました。次の公演地はブラジルのサンパウロです。劇場は出来たばかりのテアトロアルファ。何が起ころうと覚悟していかなければならない土地です。11時間のフライトの後についた劇場はホテルの敷地の中にある、オペラハウスで完璧なまでにUSAナイズされていました。劇場の技術上のメカニズム、制作の進め方、客の誘導まですべてです。ブラジル国内は220Vの電圧ですがこの劇場だけ117Vです。事務所の人間すべてが英語を話せます。客は劇場のエントランスの前までタクシーか自家用車で来ますがお抱え運転手がいない人はそこで500円払って駐車場まで運んでもらい公演後またエントランスまで持ってきて貰います。国際的な資本で作られた巨大な社交場といったところです。公演そのものはうまく行ったのですが映画で見るようなドレスアップしたマダム達は我々の公演を楽しんでくれただろうか。音響スタッフは客席奥でオペレートしているのだけれども、彼の話の一つに非常に年輩の日本人と思われるお爺さんが孫に手を引かれながら、もっとはっきりした踊りの方がいいなといいながら帰っていったということでした。ところでサンパウロには10年来の我々の友人で石井千秋さんという人がいます。彼はメキシコオリンピックで柔道の銅メダルを取った人です。大学を卒業するとすぐにブラジルに農業を志して移住した一世ですが柔道を続けてブラジル国籍でオリンピックに出場したという経歴の持ち主です。一緒に飲みに行こうと彼の車を待っていると3年前の車と違うのでどうしたのかと聞くと少し前にマシンガンを持った5人組に車を取られたので新しく買ったそうです。以前彼の農場で何種類かのピストルで射撃訓練をしたことを思い出しました。この国ではかってに敷地内に入ってきた人を撃ち殺しても正当防衛として罪にならないそうです。

(2000年09月 COLARE TIMES 掲載)



「COLARE TIMES 編集室」へ ― 「ラレコ山への道」トップページへ ― ホームへ