Vol.01

春ヨーロッパ

2000年3月19日(日)
 3月11日にフランスに渡り、パリ近郊のソーという町で4日間「うねつ」という作品を上演し、翌日イスラエルに来ました。パリの空港ではオーバーブッキングで二人のメンバーが9時間後のフライトに回され、私の乗った飛行機も荷物のバランスが悪いとかで滑走路上で乗客を2時間も缶 詰にして作業をしてから飛び立ちました。しかし誰も文句は言いません。3年前にイスラエルに行ったときは荷物の個数が多いという理由で一度乗った飛行機の前のタラップから降りて自分の荷物を指さして後のタラップから再び乗り込んで出発しました。5年前はチェックインカウンターの近くに不審な荷物があるということで全員30メートル後退させられ爆発物処理班が目の前で作業をして安全が確認されてから平常に戻りました。安全の確保の為には誰も文句を言いません。さて、5時間のフライトの後無事にテルアビブの空港に着きましたが通 関の際にメンバーの一人のパスポートにイスラエル税関のスタンプが押されてしまいました。押さないでくれと頼んでおいたのですがいろいろな質問の後にうっかりいつもの癖で押してしまったのです。スタンプの音が聞こえたので、あー!と言ったら係官がしまったと言った顔でアイムソーリーを連発しましたが、後の祭りです。なにしろ5月にレバノンのベイルートで公演の予定なのです。パスポートにイスラエル税関のスタンプが有ると入国できません。疲れ切った私の頭の中をこの後やるべきことの算段が渦を巻きましたが、とりあえずにこにこしながら入国したのでした。明日は公演初日です。この続きはフランスに戻ってからにしましょう。


イスラエル公演

2000年3月25日(土)
 9時間遅れのフライトに回された二人も無事ノースタンプで深夜1時に入国し、翌朝7時からの仕込み開始に合流しました。山海塾はイスラエルではなぜか絶大な人気があり、今回は1700席のオペラハウスでの4回公演の予定だったのですが、2回の追加公演をしました。テルアビブのみの公演だったのですが観客動員数8000人ほどになりました。この公演の後、舞台監督は打ち合わせのためキプロス経由でベイルートに行き、一度イスラエルに戻ってパリに向かい、他のメンバーはパリでブラジル、コロンビアのビザを取るという予定になっていました。ところが在イスラエル日本大使館の人たちと食事をしたときに、レバノンにはいるためにはビザがいると思うと言われ、びっくりしました。フランス人の我々のエージェントは別 の問題でモロッコに行っています。あれこれ手を尽くして調べたところベイルートの空港で40ドルほどでビザを売っているということがわかり一安心したのですが、そうするとイスラエルに再入国するときのチェックが厳しくなります。しかし行くしか有りません。実はパンチで穴の空けられた古いパスポートも持っていて、日本人の感覚ではとうてい使えないと思うのですがヨーロッパでは穴を空ける代わりに角を切り落とします。ですから有効期限以前に新規発行した場合、古いパスポートが無効であることがヨーロッパの審査官には見破れない事が多いのです。これは秘密ですよ。現実にはスパイ容疑で拘束されることが一番怖いので現場での判断に委ねることにしました。さて一人パスポートに入国のスタンプを押されたわけですがイスラエルで再発行の手続きは出来るが発行地がテルアビルと記入されるので意味がないことが分かりました。パリの大使館と連絡を取るしか有りません。しかし南米二カ国のビザを取るために三日間パスポートを預けなければならないのに我々のパリ滞在は三日間しか有りません。それに二日遅れてパリに戻る舞台監督の分はどうするか。とにかくコネクションを頼って根回しをするしかない。続きはルマンから送ります。

(2000年06月 COLARE TIMES 掲載)



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