ラレコ山への道 小野木豊昭 古典空間への誘い

【其の八拾弐】1000年前の世界を歩く

2014年5月

「宇治十帖」……光源氏亡きあと、『源氏物語』は息子の薫(表向きは光源氏の子。実は柏木と女三の宮の子)の時代となります。京都、宇治の山荘に年老いた父・八の宮(光源氏の異母弟)と二人の姉妹、大君(長女)と中の君(次女)はひっそり暮らしています。薫はこの山荘を訪れ、楽器を演奏する姉妹の姿を「垣間見(かいまみ)」します。ここから「宇治十帖」、悲恋の物語が始まるのです。


内なる人、ひとり柱にすこしゐ隠れて、琵琶を前に置きて、撥(ばち)を手まさぐりにしつつゐたるに、雲隠れたりつる月の、にわかにいと明(あ)かくさしいでたれば、(中の君)「扇ならで、これしても月はまねきつべかりけり」とて、さしのぞきたる顔、いみじくらうたげににほひやかなるべし。添ひ臥したる人は、琴の上にかたぶきかかりて、(大君)「入る日を返す撥こそありけれ、さま異(こと)にも思ひおよびたまふ御心かな」とて、うち笑ひたるけはひ、いますこし重りかによしづきたり。

〔現代語訳〕内にいる人は、一人は柱に少し隠れていて、琵琶を前に置いて撥を手まさぐりしながらすわっていたが、雲に隠れていた月が急に明るくさし出てきたので、「扇ではなく、これでも月は招き寄せることができそうなものでした」と言って、撥からちょっと月をのぞいたその顔はたいそうかわいらしげでつやつやと美しいようである。物に寄り添って横になっている人は、琴の上にもたれかかって、※「夕日を呼び返す撥というものはあったけれども、変わったことを思いつかれるお心だこと」と言って、にっこり笑う様子は、もう少し重々しく嗜(たしな)みのある風情である。 <「橋姫」の巻『源氏物語』(5)日本古典文学全集 小学館/( )及びルビは筆者補>

※「陵王(りょうおう)」という舞に、太鼓の桴(ばち)を振り上げて夕日を招く動作があることにより、ここでは太鼓の「桴」と琵琶の「撥」が掛けられています。


平安貴族にとって、日常の音楽であった雅楽や楽器に関する記述は、こうして当時を描いた文学にたびたび登場します。雅楽の演奏は、三管(笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、横笛)、二弦(琵琶、箏)、三鼓(鞨鼓、太鼓、鉦鼓(しょうこ))が基本構成で、楽曲により和琴(わごん)、三ノ鼓(さんのつづみ)、笏拍子(しゃくびょうし)など様々な楽器も用いられます。まさに管弦打楽器が揃った“世界最古のオーケストラ”と言われています。上記本文中の「琴(こと)」はここでは「箏(そう)」を指すと言われています。古典文学には「箏の琴」「琵琶の琴」などの表現が多く見られます。この時代、楽器の種類や形状に関わらず弦楽器を総称して「琴」と言っていたようです。従って「箏の琴」とは「箏という弦楽器」と解釈できます。「琴(きん)」という弦楽器もあるので「琴(きん)の琴(こと)」という表記も出てきます。「琴という弦楽器」と言う意味です。

異文化や過去と対峙し続けることは、現代社会を生き抜き、そして人間の営みを未来に繋げて行くための必須事項と考えています。とくに若い世代は、自らの文化に対するアイデンティティを敢えて積極的に求めに行かないと、近未来的に“心の居場所”がなくなってしまう危険性さえ忍び寄っています。ゆえに歴史を学び過去を直視し、古典文学や伝統芸能と向き合うことこそ、今教育の世界で真に求められているのです。その情報の理解や認識レベルの確認作業が「試験」というプロセスなのではないでしょうか。新学期がスタートしました。伝える側も受け止める側も、単に受験勉強のために歴史や国語を学ばねばならないという拘束から自らを解き放ちましょう。そして、興味深い見知らぬ過去の世界を“歩く”ためのガイドブックを覗き見るような視点で古典に接してみて下さい。きっと1000年前がグッと近づいてくるはずです。

「源氏物語絵巻」橋姫

「源氏物語絵巻」橋姫
有明の月のもと、宇治の八宮の山荘を訪れた薫(かおる)は、箏の琴と琵琶を合奏する美しい姉妹、大君と中君の姿を垣間見る。

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