ラレコ山への道 小野木豊昭 古典空間への誘い

【其の九拾弐】祝! 横綱 稀勢の里

2017年5月

古典空間

勝川春好筆「江戸三幅対 力士谷風・市川団十郎・扇屋花扇」(東京国立博物館提供) 江戸の人気者であった、歌舞伎役者、美女、相撲取りが見事に描かれています。



72人目の横綱が誕生しました。稀勢の里、茨城県牛久市出身、田子ノ浦部屋。19年ぶりに“日本出身”力士として横綱になり、2場所連続優勝をドラマチックに飾ったことなどで、五月場所のチケットが即日完売するなど、大相撲は久々に大賑わいを見せています。

1931年、東京劇場で六世尾上菊五郎が初演した長谷川伸の名作歌舞伎作品『一本刀土俵入』。相撲取りには向かないと巡業先で親方に見放された駒形茂兵衛。無一文で腹を空かして江戸に向かう道中、常陸国(茨城県)取手宿にさしかかる。見かねた安孫子屋の酌婦お蔦が、櫛やかんざし、金まで恵んでやる。歳月も流れて十年、お蔦は娘をもうけ飴売りを営んでいるが、お蔦の夫がイカサマ賭博をして一家は追いつめられる。そこに今や渡世人となった茂兵衛が現れまさに恩返し、一家を助けて逃がすラストシーンの名セリフ「お蔦さん、棒切れを振り廻してする茂兵衛のこれが、十年前に、櫛かんざし、巾着ぐるみ、意見をもらった姐さんに、せめて見てもらう駒形の、しがねえ姿の、土俵入りでござんす」。その背景には散る山桜……歌舞伎以外の芸能分野でも上演される人気演目ですが、今は亡き中村勘三郎さんの茂兵衛、そして坂東玉三郎さんお蔦が印象的でした。牛久と取手はJR常磐線で3駅13分、稀勢の里の活躍を見るにつけ、思わずこの芝居が脳裏に浮かぶのです。

相撲の起源は神事と結びついた“力比べ”。『古事記』や『日本書紀』などにも多くの記述がありますが、現在の興行としての「大相撲」の基礎と言われるのが江戸時代後期に回向院境内(隅田川東岸、現在の両国国技館近く)で行われた勧進相撲で、芝居(歌舞伎)、吉原などの遊郭と並ぶ、庶民の娯楽として大きな人気を保っていました。写真のなかった時代のブロマイドにあたるのが写楽の大首絵をはじめとする浮世絵版画ですが、役者と美女と相撲取りなど江戸の人気者たちが描かれたのは当然の流れです。

庶民の娯楽の対象として切っても切れない関係ゆえ、相撲はお芝居でもとり上げられることになります。1749年(寛延2年)大坂竹本座で人形浄瑠璃として初演され、その後歌舞伎にも移入された『双蝶々曲輪日記』。山崎与五郎と遊女吾妻の恋物語に、力士濡髪長五郎と放駒長吉の達引(義理や意地立てから起こる喧嘩)をからませた名作。また、1805年(文化2年)に実際に起きた町火消し「め組」の鳶職と江戸相撲の力士たちの乱闘事件に取材した『神明恵和合取組』〔通称「め組の喧嘩」。1890年(明治23年)新富座初演〕も人気演目として、現在でもたびたび上演されています。

歌舞伎はもともと、異風を好み派手な身なりをして常識を逸脱した行動に走る「傾き者」から来た言葉。相撲は、古語の「争ふ」に、相(互いに)撲つと言う文字を当てたとも考えられます。共に「当て字」であることも面白いことです。

相撲を扱うのは芝居だけではありません。落語、講談、浪曲などの語り芸でも“名力士伝”として数々の作品が生まれて来ました。「艱難辛苦を乗り越えて – 平成の名横綱・稀勢の里一代記」、必ずや講談師のどなたかがこのような作品を口演することでしょう。

古典空間

勝川春章筆「小野川喜三郎・谷風梶之助・行事木村庄之助」 (東京国立博物館提供) 寛政元年に谷風とともに横綱となり、江戸相撲の黄金時代をつくった小野川喜三郎との対戦場面を描いています。

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